麻酔科の皆様

 ASAも終了し、落ち着いた毎日をお送りのことと存じます。やっとプロバイダに加入し、メールが使えるようになりました。こちらの銀行の口座が思うように開設できず、やっと15日に開設の手続きが終わり、やっと電話が引けるようになり、やっとプロバイダと契約できるようになりました。前のアドレスも使用できますが、返事が遅れる危険性があります。さて、こちらは穏やかな日々が続き、昼間はシャツ一枚でも何とか歩ける日差しがありますが、やはり夜は急激に寒くなり、暖房なしには過ごせません。最近はマーケットによく行くせいか物価がかなりわかるようになりました。食料に関してはかなり日本より安いです。例えば乳製品だとヨーグルトが8個入りのカートンで180円、ワインはメドックの結構いい赤でも1000円くらい(60FFくらい)、チーズや肉の安いことはいうまでもありません。また家の前の通り、rue de la conventionには日・火・木と週に3日市場に早変わりし、雉やウサギ、牡蠣、旬のキノコ、エスカルゴなどが道の両側に所狭しと並んでいます。さすがに巨大な睾丸や脳味噌などは買う気にはなれません。

(パリの市場)

 こちらでは本当に英語は不便です。最近は英語とフランス語と日本語が渾然一体となってしまい、発音・文法がめちゃくちゃになってました。フランス語はこちらに来るならば本腰を据えてやっておいた方がいいと思います。公文式は5%くらいしか役に立っていないかもしれません。いいたいことが10%は言えても1%くらいしか聞き取れません。ウイとノン、あとは挨拶しかわかりませんでした。ビセートル大学では22日より実験のプロトコールを決定し、11月から本格的にいろいろ始まります。とはいっても、指導者であるDr Duranteauからはにやることは研究よりフランス語"といわれていますので、どうなることやら。麻酔科の図書室にはJournal of Anesthesiaまで"君の最初毎月取ってありました(写真参照)。とにかくこちらでは手続きの際は女の人の方がメチャメチャ怖いです。私は少なくとも7回はびびって逃げたくなりました。やっと、家としての体裁は整って参りました。まだ観光ははっきり言ってなんにもしていません。エッフェル塔や凱旋門にも登ってません。来ていただいても案内はかえって迷惑だといわれるかもしれませんが、来年の夏休みには来仏をご検討ください。またおたよりします。今のところはびくびくしているので多少は元気です。

中島芳樹

Date: Mon, 18 Oct 1999



麻酔科の皆様

 昨日メールを差し上げましたが、現地プロバイダーの都合により、新しいメールアドレスは10月25日以降の接続となりました。それまではこちらの、元のアドレスをお使いください。今日は一日雨と曇りで猛烈に寒いです。こちらの小学校は休み時間にお菓子を食べたり、おもちゃで遊んだりしてもいいので、家の長男はもうフランスの学校の方がいいね、なんてほざいております。

(アパートからの風景)

中島芳樹

Date: Tue, 19 Oct 1999



麻酔科の皆様

 12月にはいり、こちらはいよいよ暗く、寒さも一段と強まってまいりました。私はとうとう風邪を引き、月曜日現在、仕事を休んで寝床でcontinuous flow of HANAMIZUと戦っております。暗い、寒いヨーロッパの冬です。太陽の南中高度はかなり低くなり、太陽が出ているときは斜めから照るので、外ではサングラスが重宝します(といっても私はしていませんが)。襟巻や毛皮のコート、サングラス、日本にいるときには必要ないと思っていたものがこちらでは必需品になるのだと思い知らされました。でも、少しでも太陽が覗き、ちょっと暖かくなるとT-shirt一枚で外を平気で歩いていたり.....やはり肉食人種は違います。

 こちらではクリスマスの飾り付けが最高潮です。2000年に向けて、気合いの入り方が違うらしく、アパートの前のコンベンション通りでさえ通り沿いに5mおきに豆電球をちりばめたデコレーションが道をアーチ状に覆い、またシャンゼリゼ大通りでは街路樹をすっぽり白い布の袋で覆い、紫と青の光でライトアップするといった凝りようです。ギャルリラファイエットやボンマルシェなどのデパートもショーウインドウの華やかさを競い、町中がお祭り騒ぎです。何しろ寒いので、立ち止まって見とれていると冷え切ってしまうのが難点です。日本やアメリカでは2000年問題の深刻な影響が取りざたされていますが、こちらでは(少なくとも私の知る限りでは)あまり騒がれていないようです。やはりラテンの乗りは違うというか、目先のことが一番大事という非常に恵まれた性格というか......核爆弾が飛んでもまあ大したことではないのでしょう。

 一方、年末に向かって、確実に物乞いの数が増えています。地下鉄の中でも突然扉から入ってきて「俺は職がない.....」などとしゃべりまくり、コインをもらって歩く、若い白人や年寄りの姿もよく見かけます。冬の間は家賃を払わなくても追い出されなくて住むという人道的な法律があるそうですが、やはり失業問題は深刻なようです。私がフランスの滞在許可証を未だに取得できないのはそのせいでしょうか。また、こちらに初めて到着してしばらくするとハロウィーンの広告があちらこちらに出始め、マーケットもその手の悪趣味なものが山積みされていました。私はヨーロッパでハロウィーンが盛んということは知らなかったので少々驚いたのですが、こちらの方に聞くと「アメリカの影響が最近著しい」とのことでした。確かに電話局の案内のお兄さんは英語で色々教えてくれたし、マクドナルドはそこら中にあるなあとは思っていましたが、そこまでフランス人が迎合するとは思いませんでした。フランス国内のパンメーカーの一位は何と前述のMacDonaldだそうです。しかもダントツで。やはりアメリカに対抗する勢力としてフランスは頑張って欲しいなあとこの国に2ヶ月住んで思い始めました。孤高の頑固親父みたいに。

 さてさて、私は相変わらず厳しい孤独な環境で、言葉のそそり立つ壁に前で途方に暮れています。やはり言葉が通じないということは今更ながら大きなハンディを感じてしまいます。研究室で働き始めてから実は一番恐れていたことはお互いの無理解から来る誤解で、そのような状況に陥らないように細心の注意を払っていたつもりだったのですが、先日、ついに一人の研究者とそのような状況になってしまい、冷たく対応されたとき非常に不安に陥りました。詳しい状況は省きますが、こちらは全く身に覚えがないのがさらに始末が悪く、何しろ誤解を解く手段を持っていないのですから、その状況から脱却できるまでに大変苦労しました。毎日毎日が全身を耳にするのが朝一番の仕事で、今でもそうですが、一日が終わると消耗というかへとへとになる日々が続いています。おまけですが、先日用事があって自宅に電話したら、長男が出ました。「おとうさんだけど....」といって言葉を続けようとすると「うぃ(oui)、ヨシキ!」といわれ、がっくり力が抜けました。さらに「わかった?いいね?」と念を押すと「ダコール(d'accord)」という返事。子どもは環境に適応するのは早いのはフランスに来た当初から思っていましたが、返事までフランス語になってしまったとは.......最近は叱るときの返事は『うぃ(oui)』お菓子をもらったりするときの返事は『はい』と使い分けているようです。先日長男の友達(日仏家庭の子供)が遊びに来た際私がフランス語でしゃべろうとするとぶっとふきだし「陽平のお父さん、変!!」といって笑い転げながら隣の部屋に逃げていってしまいました。

 昨日病院のカフェテリアに行ってホットドッグを買ってきたのですが、その時前に買ったときにちょっと話をした店員の女の子が、僕がボンジュールといったら「ッコンニチワ!」と変なアクセントで言ってくれました。これはうれしかったです。片言でも思いがけなく日本語を聞くのって、どきどきしました。こういうささいなことでじーんとくるのはやはりホームシックになっているんでしょうか?

(フランスパンを食す)

 もうすぐ日本に帰る予定の家庭の方が 先日冬にしか食べれないというチーズを持ってきてくれ、それでは、と早速近くのパン屋でくるみ入りの焼き立てのパン(Pain aux noix)を買ってきてパンに塗り、ワインを飲みながら食べてみました。Les Monts de Joux(佐藤先生ご存じでしょうか)というチーズでカマンベールに似ていますが、なかはとろとろで、チーズによっては独特の臭いがありますが、これは殆ど臭わず、絶品でした。パンといえばバゲットだけでなく最近いろんなバリエーションを追求し、Pain au laitやPain Viennoisなど色々試しています。冬は牡蛎がおいしい季節です。これから買いに行き、また感想を.......。写真を添付します。私の勤務する病院から見えるサクレクールです。手前の屋根が病院です。パリの雰囲気をどうぞ。

(病院から見たサクレクール)

中島芳樹

Date: Mon, 06 Dec 1999



麻酔科の皆様

 先日、12月16日は記念すべき日になりました。念願の滞在許可証が、やっと取得できました。日本で取得するビザはどんなビザでも3ヶ月の有効期間しかなく、こちらに来てから警察に出頭し、パリ警視庁の滞在許可証申請係とのランデヴーをとりつけ、その後決められた日時にパリ警視庁にいって、必要書類を示し、足りない書類のある場合にはその行程をもう一度繰り返すというややこしく、複雑で非常に緊張する場面の連続を経験する訳です。おまけにフランス語しか話さない人々とのやりとりで出国しなくてはならないかが決まってしまうので、私は今日の朝は食事が喉を通りませんでした。14区にある警察にランデヴーを取り付けにいってから実際警視庁に行くまでの時間が1ヶ月半!日本でのビザはもうとっくに有効期限が切れています。もし突然のストライキで交通が麻痺したら、即刻不法滞在者になってしまうわけです。今日はどんなに高熱を出していても、気分が悪かろうととにかく行かなくてはなりません。ランデヴーの時間は午後2時。今日は一日休みを取ってあるので、書類がそろっているかを朝ゆっくりコーヒーを飲みながら確認し、いくつか足りないものがあったので慌ててコピーをとりに走りました。昼は長男を迎えにいき、帰りの途中ちょっと寄ったおもちゃ屋で日本に送るおみやげを買いました。500フランとちょっと派手に使いましたが、申請に必要な1040フラン(520×2人)は現金で確保してあったので安心でした。その後、ちょっと早めに家を出て、地下鉄が動いていたのでほっと胸をなで下ろし、4番線で無事警視庁のあるシテ島に到着しました。ここはすぐとなりがまだ観光していないノートルダム寺院で、早く終わったらちょっと写真でもと思っていたのですが、警察署に入ったところのボディチェックですぐさまひっかかり、何を撮るつもりだ?と怒られ、取り上げられ、パスポートを見せろといわれ、狼狽。早くも暗雲が立ちこめてきたのでした。

 さて、受け付けに到着し、色々書類を見せ、記入する書式を渡され、大急ぎで記入し(といっても辞書を引きながらで、生年月日の所に名前を書いてしまったり、名前の所に出生地を書いてしまったりで、渡されて5分後には紙はぐちゃぐちゃになっていました)、体中を耳にして名前が呼ばれるのを待っていました。

 "ムッシューナーカージームアー!" ういっと返事をして(酔っているわけではない)、向こうが何か言うやいなや書類を見せまくり、必死に用意してきた文章を頭で反芻する余裕もなく立て板に水ならぬ横板に鳥もちで、しどろもどろになりながらも一応書類はそろっていたようで、わかったからちょっと確認の電話を入れるから待て、とのジェスチャーをもらいました。待たされること10分。滞在許可証の発行には特に問題ないだろうとのご託宣を授かり(?)、会計へこれを持って行けと渡された書面の金額を見てびっくり。健康診断(フランス政府公認)の代金に2100フラン!そして発行の収入印紙代に440フラン!!財布には1400フランしか入っていず、しかしここで払わないとどうなるかわからないと考えて、すかさず、現金を引き下ろしたいというと、外に郵便局があると教えてくれ、急いで警察の建物を飛び出し、郵便局の現金引き出し窓口を探しました。パスワードを打ち込み、2000フラン、と希望の額を入れると、がーん!郵便局からの引き出し限度額は2日間で2000フランで、もうオーバーしていたため800フランしか引き出せません。とにかく、その額を引き下ろし警察に戻りました。そして、2100F健康診断の窓口で払い、残りは今日でなくてもいいのかと聞くと面倒くさそうに今日払えと言われ、頭はパニックに。そして、もう一度最初の窓口で、他の人と面談をしている所に強引に割り込み、郵便局の引き出し限度を超えてしまったので銀行の引き出しの場所を教えて欲しい、と何であの時とっさに喋れたのかわかりませんが、とにかく一発で意味が通じ、銀行ならリボリ通りまで行けばあると教えてくれました。そこで再び、警察を後にして通りへ飛び出し、セーヌ川をわたって向こう岸へ行き、銀行を探しました。だんだん日は暮れはじめ、セーヌは一番美しい時を迎えます。しかし、楽しむ余裕はありません。遠くに銀行のキャッシュコーナーの表示が見えたとき、もう歩こうかと思いましたが、とにかく急がないとやばいという一心で信号を思いきり無視して銀行に飛び込みました。カードを差し込み、ちょっと多めに....と思ったらいきなり限度オーバーの表示が!パニクる頭でとにかく必要最低限の現金をつかむとまた警察へ急ぎました。外は気温2度です。しかし、シャツ一枚にセーターの体は汗だらだらでした。そして、ハアハア息を切らして収入印紙代を払い込んで、証明書を最初の窓口に見せ、待つこと10分。名前が再び呼ばれ、何とその日に滞在許可証を手にすることができたのです。苦労は報われました。やはり正義は勝つと確信を得て、そうだ、さっきのカメラを撮りに行かなくてはと思い出しました。警察の建物は一方通行なので、出口から出てまた玄関に戻り、そこでカメラを撮りに来たと告げました。パスポートを見せ、受け取り、出口から出ようとすると、こっちから出て良いとのジェスチャー。見ると扉があったので、そこを開けて外へ出ようとすると、そこは小部屋でコーヒーやなんかのデザートをほおばっていた人たちでぎっしり。しーんと水を打ったように静かになりました。外でジェスチャーした人が"そっちじゃねーよ!"とでもいいたげに、それでも笑いながらもう一回指さししてくれましたが、指さされた扉を開くと中は薄暗く、よくみると掃除道具の山が!!警察官の大爆笑を買い、逃げるようにもと入ってきた扉から外に脱出しました。

クリスマスおめでとうございます。

中島芳樹

Date: Sun, 19 Dec 1999



麻酔科の皆様

 あけましておめでとうございます。旧年中は本当にお世話になりました。そしてまた、今年も何卒よろしくお願い申しあげます。このメールが皆さんの手に届くということは多分 2000年問題は何とかクリアしたと言っていいのでしょうか。とにかく今年一年、皆様のご健康をお祈りいたします。相変わらずの悲喜こもごものパリ生活ですが、12月は滞在許可証もとれ、いい月でもあったのですが、子供が毎週末風邪でダウンしてしまい、家族でクリスマスの飾りを町に見物ということが全くできませんでした。やはり、気候の違いというか、免疫のなさというか、違う国にすむということは子供にとって大きな負担なのだなあと実感しました。さて、小学校の冬休みは12月17日からで、私も25日から年内いっぱい休みを取り、年末念願のバカンスへ行ってきました。旅行の直前の日まで子供が熱があり、明日朝起きて38度以上あったらもう止めよう、と悲壮な覚悟でしたが幸い37.1度で、これならいける(!)とタクシーをとばし、飛行機に乗って、南仏、ニースへ行ったのです。ひどい親かもしれませんが、とにかく連日太陽が顔を出さず、2人の子供の暗ーく、湿ったような咳を毎日聞かされていると、何がなんでも太陽が見たい!と思って一念発起したのでした。着いた日はパリと同じどんよりした天気でしたが、翌日から素晴らしい快晴が滞在中ずーっと続いてくれ、この季節は有名なミストラルが吹き荒れると聞いていたのにもかかわらずで、本当に嬉しかったです。ホテルは四つ星のオーシャンビュー、天気は快晴と来れば、どんなことでもできそうでしたが.......現実は厳しい....こともあろうに私自身が出発日頃から頭、関節が痛くなり、着いた翌日から39度の熱発で敢えなくダウンしてしまったのでした。おかげで最初の二日間、妻は子供を連れて観光に行き、私は部屋を暗くしてじーっとベッドで寝ていました。3日目、熱はまだ38度くらいをキープしていたのですが、流石に寝ているのがばかばかしくなり、厚着をして外出しました。足どりは多少ふわふわして危なっかしかったのですが、カンヌやカンヌの港から出ている船に乗ってわたったレラン諸島は美しかったです。幸い、胃腸には症状がなかったので、むしゃむしゃ食べているうちに少しづつ体調が回復してはきましたが、5日後、パリに帰ってきてからも微熱と咳は残り、さらに家に着いたとたん、子供2人は再びひどい咳と熱発でダウン。本当に間隙を巧みに突いた旅行でした。

(カウントダウン、エッフェル塔)

皆さん、今年はパリに旅行しましょう。お待ちしています。

中島芳樹

Date: Fri, 31 Dec 1999



麻酔科の皆様

 2000年問題は何事もなくて本当に良かったですね。こちらでも心有る何人かはボランティアで泊まり込んだ人もいたようでしたが、拍子抜けするくらい何も起こらず、一応買い置きしていた食料やおろしておいた現金も使わなくて済みました。面白かったのは病院のエレベーターに"23:55から0:05までの間はエレベータを使わない方がよい"と申し訳程度の手書きの張り紙がしてあったことです。また、パリにいらっしゃったことのある方ならよく知っている地下鉄の巨大な広告に最近ノストラダムスが登場し、彼のおでこにおもちゃの矢が刺さっていて、"世界が終わるという年は過ぎた。新年おめでとう。"と横に書いてあるのが非常に面白いと思いました。やはり気にしていた人はこちらでもたくさんいたのでしょう。

 さて、ご存じのようにこちらは新年の1月1日は休日ですが、2日からもう普通の日とかわりありません。たまたま2日が日曜日だったので3日が初出勤だったのですが、私の研究室ではいつものように突然シャンパンがあけられ、パイが並べられました。簡単な新年のお祝いの会だったのです。何等分かに切られたパイをもらい、かぶりつくと歯に何かが当たりました。よく見ると小さな人形が入っていました。周りの人から当たり!といわれ、金色の王冠をかぶせてもらいました。 これはフランスの伝統的な行事で、"王様のパイ"というものだそうです。これに当たるとその場にいる女性から好みの人を選んでキスして貰えるというものだそうですが、そう説明されて狼狽し、隣にいる身長190cmくらいの大きな男の人に抱きついてしまおうかと思いましたが冗談で済まなくなる可能性もあるので、研究室のボスに王冠をかぶせてしまいました。研究は現在マウスの頚動脈及び静脈へのカニュレーションは何とかこなせるようになってきたので次には LPSを投与しての腸管のmicrocirculationの観察に入ります。とにかくパーツが小さいのでちょっとしたミスが文字どおり命取りになります。つまりマウスの命を本当にとってしまうことになるので、細心の注意を払いながらやってるつもりなんですが....本当によくお亡くなりになります。

 自分の身の回りのことでは、ついに、初めてこちらの日本料理屋(生粋ではないですが)に行きました。アパートから歩いて約3分の所にローマ字でYAKITORI、SASHIMI、SUSHIと書いてある店があります。ちょっと見ると日本人のセンスとしては...と思っていたのですが、とにかく近いので一回いって見ようと家族で中にはいったのでした。案の定、アメリカやヨーロッパではよくあるどこかの東洋人の経営する店だったのですが、こちらに来て呑む初めての熱燗!くーーーーーっ!こんなうまかったのかと思うくらいおいしかったです。こちらでは風邪をひいたときにグロッグという熱い酒があるくらいで、やはり日本人としては冬は熱燗に鍋!と再認識しました。幸い、ご飯は長米ではなく、日本でみる短い米でしたし、また刺身もとてもおいしかったです。しかも一人前の量が驚きです。さすが、ラテン民族を相手の店は量が違うと感嘆しました。ヨーロッパで食べる刺身は未だはずしたことがありません。サケを始め、平目、マグロ、オランダやベルギーで冬どの魚を食べてもうまい!と思います。こちらに来たときは是非試してみて下さい。北欧だと北海、この辺だとブルターニュのあたりから持ってくるのでしょうか。

 また、先日体重計に乗り、日本にいたときよりも体重が 5kgも減っていたのに驚愕しました。そうです。ストレスです。でもそれだけではありません。筋肉が落ちたのです。ということで、足輪と腕輪を慌てて買いに走りました。足は片側2.5kg、手は片側1kgで喜んで通勤しています。確か、前のは手術室においてきた気がするのですが。

 1月に入り、とても穏やかな日が続き、また12月に比較すると心なしか日が長くなってきたような気がするのでこれで寒さはもう終わりかと思っていたらやっぱり甘かったのでした。ここの所朝は連日零下で、今日も朝零下2度です。日本でも風邪がはやっているそうですが、健康管理に気を配って寒い冬を乗り切って下さい。

次の便りでは車の報告をします。ふっふっふ。

中島芳樹

Date: Wed, 12 Jan 2000



麻酔科の皆様

 皆様、いかがお過ごしでしょうか。こちらはまだまだ寒い日が続いています。森脇先生のところは雪で病院と車が埋まったと聴きましたが、こちらは今年に入ってからは雪のかけらも降りません。でも零下5℃くらいです。そのかわり、だいぶ朝の明るくなる時間が早まってきました。8時半過ぎにはだいぶ明るくなります。

 先々週、ホームに人が落ち、危うく轢かれそうになったのを目撃しました。その次の日から安全性が保てないとの理由で自分が乗る路線だけ突然ストに入ってしまい、まいりましたが、きのうは地下鉄全線で一日ストになりました。こっちはストが日常茶飯事なので、私以外の人間は誰も困っていないようでした。みんなおとなしーく動き出すのを待っている姿には感心しました。きのうはGare du nord(パリ北駅)で、スリの現行犯逮捕を見ました。変装していた警官のお兄ちゃん、むちゃくちゃかっこよかったです。

先日のメールで、車の報告をするといっていましたのでお約束通り、車の報告をさせていただきます。

 パリ市内ではハッキリいって車は邪魔です。駐車場は少ない上に皆、路上駐車だし、キップきりの警官は物凄くたくさんいるし、すぐぶつけられるし、ガソリンは高いし(後述)、そのうえ公共機関が非常に発達していて便利なので必要性を感じません。ところが今度車を買ってしまった.....なぜか。それにはいろいろ理由があります。

 新年早々下の息子がひどい風邪を引き、熱が4日たっても全然下がらず、そのうちに全身に発疹が出現したため1月1日、深夜タクシーを呼ぼうと電話したのですが、どこも留守番電話が応対するだけ。結局深夜零下2℃の通りをベビーカーに乗っけて病院の救急まで走ったのでした。ちょっと話は外れますが、咳がひどい時にこちらの医者はレントゲンを見て、"気管支が腫れているので、ステロイドを使って下さい"、私はそういう使い方ってあり?とちょっとびっくりしました。おまけに高熱まであるのに。しかもこちらは完全に医薬分業体制なので、救急で処方せんをもらったら、それをもって夜間開いている薬局までまたまたひた走るのです。こっちが肺炎になりそうでした。

 また、ちょっとした本棚や机など、こちらではいわゆるカーマホームセンターのような店が郊外に集中しています。車がないととても運べません。また、アパートの共益費に駐車場の代金が込みになっていて、使わなくても月々550F払わなくてなならないのも、動機の一つとなりました。

 こちらに住んでいる人はもしお金が十分ならドイツ車を買うそうです。ラボに勤めている連中も皆ドイツ車がいいといっていました。例のJulianという生意気なやつなどはフランスの車を買いたいフランス人はいないとまで言い切りました。

 そういわれると、フランス人ではないので、やはりフランスの車が欲しくなりました。そして選んだ車はルノーのルーテシア(フランスではCLIOといいます)でした。今はプジョーの206が日本でも爆発的にヒットで、今一つルノーの影は薄いようですが、本国ではつい最近日産マーチくらいの大きさのボディに2リットルの175馬力をぶち込んだClioの化け物が売り出され、盛んに宣伝されています。もちろん私は、こんな化け物を買うはずもなく、おとなしい4ドアの1400ccの可愛いやつです。以前大学の麻酔科講師でいらっしゃった今村先生に愛用のBMWをよーく運転させていただき、最後は東名から降りた直後にブルーバードに刺してしまったことがあるので、左ハンドルの右側通行、非常に緊張しました。しかも右手ミッションはその昔FiatのUno ABARTHという、やはり小型の車にのって以来14年振りくらいだったので、これ以上ないというくらい安全運転に今のところ徹しています。ただ、初めて入れたガソリンスタンドでレギュラーを40リットルいれたら6000円取られて仰天しました。ガソリン代がこんなに高いとは.....。ちなみにリッター145円くらいです。

クリオ君の写真見て下さい。かなりやつれてますが(笑)。

(愛車ルノークリオ)

 さて、実験はやっと軌道に乗ってきました。現在、マウスにエンドトキシンを作用させて腸管の絨毛を流れる赤血球の速度を測定しています。赤血球は色素で染色し、ビデオカメラに録画して後にスピードや絨毛に流入する赤血球数を解析することを行っています。一検体につき、解析だけで4、5時間はかかってしまうので画面をジーッと見ていると非常に目が疲れます。実験を指導してくれているNathalieというとても恐い、フランス語しか喋らない若い女性(でもJ Applied Physiolなどに論文たくさん出ています)に計算間違いで怒られながら、今日も無口に戦っています。トレアンポルタン!などといわれると、これはアンポンタンなのでいらないのかと思うと、アンポルタンは"important"、つまり重要なんですよね。ちなみに故障はアンパン(en panne)、渋滞はジャムパンです(jam panne)。

 最近、実験の合間は病院内のカフェでサンドウィッチやミネラルウォータを買って、測定中にすましてしまうことが多いのですが、そこの若い店員さんがフランス語をよく教えてくれます。を"self"といったりいろいろ辞書に載っていないよう"ハムとチーズのをください"というと"これはパリの人間はmixedという"とか、職員食堂な言葉を教えてくれます。今までフランス人というと気難しい、フランス人以外を見下すような態度の人しか見てこなかったのでこちらに来てからフランス人に対する気持ちが、かなり、大幅に変わりました。

 また、こちらに長く滞在して最近思うのですが、もちろん、ヨーロッパの人間と日本人とは容貌の上で大きな違いがあるのですが、顔の形でいうと、彼等は魚のように、前から見ると幅が狭いのですね。それに対して東洋人は顔が平べったい。これが如実にあらわれているのが地下鉄です。パリのメトロは縦に長く、前から見るとフランス人の顔の形にそっくりです。また、東洋人は頬骨が出ているのに対し、彼等は額が広く、また前に突き出ていて、鼻梁から額にかけて動物のようにも見えます。また金髪は日本人の黒髪のように重苦しくなりにくいので、一週間風呂に入らなくても汚く見えません。こちらは一週間入らない人はザラだと聞きました。また、いかに香水が有名といっても日本人にとってはかなりきついものがあります。あと、安いレストランでは野菜は洗って出されないので寄生虫が非常に多いそうです。妊婦は食べない方がよい、とただし書きしてある本も見つけました。まあ、どちらも一長一短があるので比較は無意味なのでしょう。ちなみに私は生野菜ばりばり食べています。

 これから、日本の大学が休みに入る関係で今月中旬くらいから日本人の観光客がどっと増える様です。先日、放射線科の先生、技師さん、看護婦さん御一行がパリに来ました。こんどはどなたでしょうか。心よりお待ちしています。

(パリのモーターショー)

中島芳樹

Date: Mon, 7 Feb 2000



麻酔科の皆様

 ご機嫌いかがでしょうか。このパリ便りも、はや8回目を数えるようになりました。昨年10月にこちらに来て、5ヶ月がもう経過してしまったわけです。思い返すと、この5ヶ月本当に苦労の連続でした。でも苦労はまだ続きます。滞在がもし1年だったら、やっとすべてのinstallationが終わったところで帰国になってしまいます。

 滞在許可証が無事取得できたのは前々回のメールで皆様にお伝えしましたが、先々週、突然パリ警察から滞在許可証のタイトルの変更をしないといけないとの理由により出頭の命令が届き、理由もよくわからないのですが、学生のタイトルに変更されてしまいました。そうすると、本来学生ビザでは働くことは禁止されているため、今フランスの大学からもらっている6000フランの給料が問題になり、今度は労働局に労働許可証を作ってもらわなくてはいけなくなりました。打ちひしがれる暇もなく、地下鉄を乗り換え、建物の中にはいるとたくさんの外国人、特に黒人が沢山いて、みんな何かに一生懸命書き込んでいます。また、ここでも苦労かとがっくりしながら悲壮な覚悟で順番待ちで並び、いよいよ自分の番になりました。はじがつりあがった眼鏡をかけた、ざーますみたいなおばさんが受付をしています。最初、学生証とパスポート、滞在許可証を見せると、いろいろむこうから言われましたが、全然何をいっているかさっぱりわかりません。うんざりした顔で"あっちで待て!"というので、"Je traveille a l'hopital deja comme l'interne!"と言うと態度が豹変し、"何だ、もう病院で働いているのか?"と、にこにこしながらすぐ許可証を発行してくれるデスクに通してくれました。幸い、中での手続きも全然問題なく、すぐに書類を作成してくれることになりました。

 家に帰り、あー今日は思ったより簡単に済んでよかったなと思ったら、一通の手紙が......。がびーん。それは確定申告用の病院からの支払い証明でした。こちらは源泉徴収の制度がなく、フランス国内で収入がある人は皆それをする義務があるそうです。期限を見ると3月15日!この書類はフランス人でも頭をひねる難解さで有名ということで、あたふたと申告用の書類を税務署に取りに行きました。辞書を引いて、意味を調べてもわからん!たった3行の意味を調べるのに1時間もかかり、もういやになっています。ということで、まだ何も書き込んでいないのですが、果たして提出できるか.....。とにかく、手続きに走ることばかりで更に体重が減り、現在は182cmの68kg。・BW/・t = -1.6kgです。

 さて、先週初めてエッフェル塔に登りました。観光客でごった返していて、長時間並ぶことを覚悟しなくてはなりません。私たちも約1時間、寒風の中で並びました。一番上の展望台は高さ320m、東京タワーより少し低い高さです。四方の壁に国の名前が書いてあり、日本の名前も東の壁に見つけることができました。9500km! そこに皆さんが住んでいるわけです。天気が良かったので、もしかしたらと思って目を凝らしましたが見えませんでした。

 その後、バトーパリジャンという、セーヌ川の橋巡りをしてくれる遊覧船に乗り込み、エッフェル塔の真ん前にあるイエナ橋から始まって、コンコルドの前のアレクサンドルIII橋、ルーブルの前のポンデザール、シテ島を貫くポンヌフなどをくぐり抜けていきました。生憎、水位が非常に高く、ポンヌフより先は船が通れないという理由でノートルダム寺院などは見られませんでしたが、最後はビラケム橋を越えてオリジナルの自由の女神を鑑賞し、帰りました。のんびり進む船から見る眺めは非常によかったです。夜の遊覧船は夜景が本当に美しいそうです。いらっしゃったらご案内しますね。

(アレクサンドルV世橋)

 今週から臨床の勤務も始まりました。今週は月曜日が当直で、Dr Duranteauと、あとGaileという、若い女性のinterneと一緒にいて、いろいろ見学しました。当直体制は普段は5人。蘇生科医1,成人の麻酔科医2、小児麻酔科医1,集中治療医1で毎晩、当直に当たっています。Duranteauは助教授レベルですが、月に当直は5〜6回。主任教授のBenhamouも月に2回、当直をしています。Paris Sud(パリ南)と俗に呼ばれるこの大学病院には手術室が15、ICUが12、リカバリールームが10あります。リカバリールームは勿論手術後の患者が主にはいるところですが、あたかも病棟のように独立しており、看護婦もICUの様に3交代制でついているようです。手術室はまだちょっと入っただけなので、どのような構造になっているかはまた後日ご報告しますが、麻酔器はDrager Catoで、デスフルレンがデフォールトでくっついていました。薬剤の豊富さは、以前見たフロリダやシンガポールと同じで非常にバラエティに富んでいます。筋弛緩薬は一番使うのはロクロニウムとヴェクロニウムで、日本では同じか?と訊かれ、ヴェクロニウムとパンクロニウム、サクシニルコリンだけといったらぷっと吹かれてしまいました。まあ当然だとは思いますが。麻薬もフェンタとモルヒネだけと続けると真顔で日本の麻酔科医は何か迫害される理由があるのか?と訊かれました。

 ICUのセデーションにはスフェンタとミダゾラムがルーチンに使われています。ICUでは気切もしくは挿管の患者で満床で、また一部屋が定員二人になっていますが、同室に向い合せに男と女の患者がいるのにちょっと驚きました。ICUは完全に蘇生科によって運営されていて、私がそこに入った時には、手術後2日目の経過を丁度執刀した外科医に説明しているところでした。ICUの管理用コンピュータは.....もちろん、iMacでした。ふっふっふっ。

 夕御飯はこちらの恒例で夜10時過ぎでした。これから、Salle du gardeという部屋で食事するから一緒に行こうといわれ、行くと古ぼけた建物があり、そこに入ると極彩色の×××や巨大な×××の絵が!!また正面の壁には×××な絵のルーレットが(9文字伏せ字)!! 驚いて突っ立っていると、Dr Duranteauから荘厳な表情で"これがフランスの本質(l'esprit)だ"と言われました。ここでの話は省略。写真は厳禁だそうです。

 車の運転もやっと慣れてきました。先日ベルサイユまで約30km車を走らせました。パリの南西部にムドンの森(Bois de Meudon)という、秋には栗拾いで大変にぎわうきれいな森があるのですが、その森のある丘を快調にかけのぼり、ジェットコースターのような道を走って、本当に珍しく見事一発で辿り着きました。ベルサイユ宮殿もさることながら、前の大通りの美しさは本当にすばらしいです。本当にヨーロッパ的な、車の代わりに馬車を走らせるとそのまま中世が再現できるようなそんな眺めです。たぶん宮殿ができた約300年前と同じ風景が広がっているかと思うと不思議な感覚にとらわれます。また、一歩中に入ると写真でしかみたことがなかった鏡の間のゴージャスなこと、王妃の寝室の美しさなど本当に圧倒される思いです。築造には約40年かかったそうですが、もともと沼地だったところに宮殿を建てた為に工事は大変だったようで、『一日に荷車一杯の死人』がでる程悲惨だったようです(受け売り)。ここにフランス革命の遠因があったんだなあ、と思いました。

 宮殿からプティトリアノン(王女の離宮)にいたる道は庭園の中を貫いていて、美しさに惚れ惚れします。近くの運河ではのんびりとボートを漕ぐ人、ゆっくり読書(ちょっと寒いと思うんですけど....)に耽る人、馬上でゆったりくつろぐ人などみんな午後のひとときを楽しんでいました。思ったより観光地化されていなくて、非常にいいところでした。皆が皆行くところだけあって、お勧めスポットです。

(ベルサイユ大運河)

 まだまだ左折では反対車線に入ったりするし、ロータリーで出口がわからず、中心に入ってしまい、抜け出すまでに10分、ぐるぐる目が回る〜というメリーゴーラウンド現象(merry-go-around phenomenon)もすでに体験しました。ロータリーだけは未だに恐ろしいです。現地の駐在員で、凱旋門のあるCharles de Gaulle Etoile広場を1時間以上抜けられずに回っていた人もいるそうです。ただ、バスに乗りながら気楽な気分でよく見ると、ロータリーを走っている人はたとえフランス人でも必死な形相で出口に殺到しているので、彼らももしかしたら怖いのかもしれません。だいぶ自分優先の走り方に慣れてきたのは事実です。パリから車でベルギーまで約3時間。ドイツ国境まで5時間。ブルゴーニュまで3時間。暖かくなったら、いろいろ行くのが楽しみです。

それでは、次の報告をお待ちください。体調に気をつけてくださいね。

中島芳樹

Date: Wed, 01 Mar 2000



麻酔科の皆様

 3月に入り、気温はぐんぐん上昇し、こちらに初めて来た時同様の暖かい気候になってきました。これから最も美しいといわれる春を迎え、本当に嬉しくなります。今まで本当に暗かったから.....ねえ。森脇先生ももうアメリカに行かれて1年たつのかと思うと本当に月日の過ぎるのが早いことを実感します。 こちらの病院で驚くのは、一般家庭もそうですが、分別ゴミという観念がほとんどないことです。缶も、ビンもいっしょくたで全部同じゴミ箱ですし、さすがに針は回収箱があり、そこにみな捨てていますが、それが一杯になるとそのまま普通のゴミ箱に捨ててあるのでちょっと驚きました。でも、血液などの汚染物は分別でした。ちょっとほっとしました。

 家庭ゴミで唯一の分別ゴミはワインのビンです。街角のあちらこちらに緑色の回収容器が置いてあり、月曜日の朝はそこにビンを投げ込む光景が良く見られます。 また、緑色のオートバイに乗って歩道を走り回る人をよく見かけますが、これは犬の糞を専門の掃除機で吸い取って回る市の職員です。

 街のあちこちで見かける公園は本当によく手が入っていて、四季の合間にどんどん木が植え代えられたり、花が代わります。犬はOKでも子供禁止のレストランはよくありますが、公園だけは例外的に犬連れ禁止のところが多く、小さな公園にも必ず管理人がいて、芝生に入ろうとしたり、犬をつれて入ろうものならすぐに抗議に飛んできます。公園整備や町並みに賭ける並々ならぬ気合いが伝わります。その分、一般の人たちとのギャップが余りにも大きすぎます。

 また、母国語を守ろうという気合いも尋常ではありません。小学校1年では授業の60%以上は国語(つまりフランス語)であることは前に書いたかと思いますが、驚くべきことにすべてのラジオやテレビ番組を監視する監察官がいて、一日中各放送局の番組を聞き、"何時何分フランス語で○○○と言うところを英語を使って×××と喋った"と担当アナウンサーに連絡が行き、罰金を払う必要があるとのこと。また、音楽番組でも全体の60%はフランス語の曲でないといけないとか、広告を地下鉄などに出す時、もし英語で見出しを書いたら、フランス語の訳を必ずいれなくてはいけないとか、きりがありません。多分フランス語の発音が非常に微妙で、また一つの言葉で異様に意味が多いことからしっかり叩き込まなくてはいけないということなのでしょうが(あえていえば、語彙が少ない?例えば"まっすぐ"を表わす"droit"は"右"という意味もあります)、その分しっかり伝わらないことも多く、それで皆約束してもこんなに忘れっぽいのかと思います。コンピュータ (l'ordinateur) 関係の言葉もぜーんぶフランス語です。ホームページと言っても通じません。フランス語でちゃんとpage d'accuielという言葉があります。ソフトウェアはlogiciel、ダウンロードはtelechargement、マウスはsouris、ファイルはfichier、フォルダはdossierです........。

 先日、渋滞の中、車を運転していたら左側から急に幅よせしてきた車があり、右側優先と思って進んでいったらこちらのサイドミラーと向こうのフェンダーがぶつかり、驚いて向こうを見ると相手は手をふるだけで左に曲がって平然とした表情ですーっと行ってしまいました。こちらはミラーにかすり傷がついただけですが、向こうもこちらと同じ新しい車で、なおかつフェンダーから右前ドアにいたるまでこすれた跡が歴然でした。車は移動の道具ということをしみじみ実感しました。

 先々週末は、初めてパリ郊外にあるディズニーランドに行ってきました。アトラクションもお馴染みのものが多かったのですが、日本にないものもあり、十分に楽しめました。パリから電車で約30分。一日楽しめますので、けっこうお勧めかも知れません。意外なことに日本人観光客は本当に少ないです。一番目立つのはべらべら英語を喋っているアメリカ人かイギリス人でしょうか。パレードの時日本の着物を着ている巨大なミニーが来たのですが、手には扇子を持ち、しかも着物の柄は万里の長城、おまけにかんざしは皿回しになっていて、とどめは松の木と御飯の茶わんが飾りになっていました。エッフェル塔の近くに日本ーフランス友好会館という所があり、そこで日本のものがいろいろ買えます。辞書や、美術関係、風俗を表した本はもちろん、キティちゃんやたれパンダなどのキャラクターグッズなど何でも揃っています。ただ、日本の値段の倍で、本当に高くて何も買えません。日本のCDは安いのでも4000円です。 


















(パリのディズニーランド城)

















(パレードの日本人形)


 相変わらず、ストライキは多いです。先日地下鉄に飛び込み自殺があったことは前回書きましたが、ちょっと詳しく書くと、私が帰りの地下鉄に乗ろうとして駅のホームに着いたのが電車が飛び込みで急停車した直後で、ホームに人が大勢いてみな線路を覗き込んでいました。電車の中の人は全部降りてしまっていて全然前が見えない程だったので、誰も乗っていない電車最前に乗り込み、前の窓からぐったりした人が引き上げられているのをみることができました(こちらの地下鉄はゴムのタイヤです)が、僕が窓から覗き込んでいるのを見た、ホームにいた人が"見えるか?"と聞くので"ウイ"と返事をすると皆ホームから電車に引き上げられている姿を一目見ようと電車になだれ込んできて、大騒ぎでした。迎合しないフランス人ですが、好奇心はさすが旺盛です。電車が動きそうになかったので、他の番線を使って家に帰りましたが、次の日、その4番線が突然ストライキに入ってしまい、驚きました。つまり、安全性が確保されていないという理由で4番線だけがストライキしてしまうわけです。幸い2日で終わり、安心しました。

 現在は2週間前から税務署がストライキ中で、確定申告ができない人たちでいつも建物の前はごった返ししています。申告は3月15日までなのですが、そのおかげで今月一杯まで期限がのびました。また、先週火曜日から郵便局がストライキで、さらに先週の水曜日からは公立の小学校がストライキで、子供達は授業がありません。 ともあれ、観光にはこれからいいシーズンに入ります。のんびりセーヌ下りを楽しんだり、トロカデロやリュクサンブールでぼーっとしたい人は遊びに来て下さい(公園はまたさらに違った時間軸で時が流れています)。お待ちしています。シャイヨー宮から見た夕焼けに染まるエッフェル塔とアンバリッドの風景、ため息が出る程美しいです。さあ、見に来ましょう。

(光るセーヌ川)

中島芳樹

Date: Thu, 23 Mar 2000



麻酔科の皆様

 あっという間に5月になりました。もうこちらに来て8ヶ月が経過するわけです。日本では鯉のぼりが五月晴れの空に翻る、美しい季節を迎えているのだと思います。こちらでは太陽が出ると気温は19℃くらいまで上がり、シャツ一枚でも十分なくらいになったのですが、雲が多かったり、雨が降るととたんに寒くなり、まだまだセーターやコートは手放せません。おまけに4月から矢鱈に雨が多く、ちょっと日が射してはすぐに雨降りという変な天気が続いています。それもしとしと降るのではなくにほんのようにまとまった雨が降るので傘無しではいられません。周りに聴くと、こんな天気は例年はないそうで、こんなに降るのは異常だと口を揃えて言います(フランス人でここまで意見が一致するのも珍しいです)。蛇足ですが、最近のユーロ安のおかげで、現在1フラン=15円です。日本からの旅行には最高!

 さて、4月はヨーロッパに於いては春を告げるという意味だけでなく、12月のクリスマスと並ぶキリスト教の一大イベントである復活祭のある重要な月でもあり、4月の半ばを過ぎるとあちこちのチョコレート専門店やスーパーマーケットに卵のチョコレートが並びはじめます。今年は24日が復活祭で、それから1週間後の5月1日はメーデーで休み、その1週間後は第1次大戦の戦勝記念日で休みなので、土曜日を入れると三連休の週末が三週間連続で続きます。この時期は皆休みをとって旅行に出かけてしまう時期でもあるわけです。研究室もそんなわけですっからかんの日々が続いています。冬の風物詩であった栗売りはとうに姿を消し、今度はスズランの花を売る露店が街頭に目立ちはじめます。これが春の訪れを告げる合図になるのです。アパートの窓から見える木々の新緑も目に美しくなり、ベランダでコーヒーを楽しむことがもうすぐできるようになりそうです。

 そういえば、3月26日をもってフランスは夏時間になりました。夜中の2時になると突然3時にジャンプしてしまうわけで、事情を知らなかった私はその日の朝の約束、完全に遅刻してしまいました。子供は"夏時間になると突然夕方が明るくなるね!"と驚いていましたが、そりゃそうです。5月1日現在で日本との時差は7時間(小杉さん、この前明け方の4時にファックスを入れて下さり、本当にありがとうございました)。夜9時くらいまでは外でボール遊びができます。これから夏至に向かってまだまだ日は伸びるそうです。さすが北の国!公園はチューリップや桜草の花で一杯で、あちこちに"侵入禁止!庭師の気持ちを考えろ!"という看板が立っているのが笑えます。近くにGeorges Brassens公園という、毎週末に古本市が立つので有名な公園がありますが、そこの池でカルガモの赤ちゃんが元気に孵り、人気者になっています。

 言葉の方はもう8ヶ月が経過するのに、依然として状況はあまり変わっていません。最近、フランス語における冠詞の重要性をひしひしと感じるようになり、それを区別して喋ろうとしてますますしどろもどろになりしゃべれなくなるという悪循環です。冠詞の種類が多く、また男性女性、単数複数で変化し、いろんな言葉とくっついてまた変化してしまうため本当に参っています。最近、いつもフランス語を習っている先生から来た時よりずーッと下手になったと言われ、がびーん!とショックを受けています。新しい言葉を覚えるってことは本当に難しいねえ。

 実験の方はなんとか無理矢理一つ目を終わらせました。5月から新しい器械が入り、それを稼動させる役目になってしまったため言葉の問題とあわせ、悲惨さが一層際立ちます。

 その代わり、車の運転はバリバリです。平気で前の車のバンパーをぐりぐりやってますし、一方通行でどんどん変な方向に行っても全然動じなくなりました。考えてみればバンパーはぶつけるためにあるんですよね。こういうところにフランス人の割り切り方というか合理性を感じます。日本でもやりそうで恐いです。

ほんっとにあったまくることもおおいんですけど。

 さて、今日はこちらの大学図書館について書きます。パリ大学の医学部はオデオン(ODEON)にRue de l'ecole de medicineという通りがあり、その道路沿いに堂々とした石造りの建物が立っています。道路から、重い、大きな扉を開くと巨大な回廊が奥に続き、素晴らしい装飾の施された階段を上がると、大きな、昔の医療行為を描いた絵があり、その横に厳めしい金文字で"BIBLIOTHEQUE"と書かれた扉をくぐります。日本のように直接雑誌を手にとってペラペラというわけにはいきません。受付の前にコンピュータが整然が50台くらいでしょうか、並び、文献の検索ができるようになっています。図書館の入り口の横の受付で文献検索用の申請書をもらって、コンピュータでその雑誌が置いてある書架を検索します。それを写し取って受付に提出すると、5分から10分後にその雑誌が前の机の前に出ています。受付箇所は3ケ所あり、それぞれに5ー6人が常駐しています。出された本を持ってコピーをとり、また違う文献を請求する時は一度本を返して、その代わりに申請書を再度請求し、それを何度も繰り返すわけです。一度に請求できる本・雑誌は5冊までで、返したという証明書をもらわないと図書館から出ることができません。こう書くと非常に面倒なようですが、よく考えてみると非常によく考えられたシステムに思えます。確かに沢山のコピーをとろうとすると持ち運びに不便だし、長時間コピーの器械を占有してしまうことになります。また、貴重な本も沢山あるのでセキュリティーの面からも優れています。多数の彫像に囲まれた、大理石でできた巨大な空間を歩いていると、普段観光客が入って来ることができない静かな環境から圧倒的な歴史と十二分な重厚さを感じ取ることができます。"この注意書は1895年から発効する"なんて煙りですすけたような字で書いてあるとなおさらです。最近はPDFがかなり普及してきたお陰で雑誌によってはインターネットからフルテキストが直接ダウンロードできるようになりました。本当に便利な世の中になったものです。オデオンの周囲にはサンジェルマンデプレ教会、パンテオン、ノートルダム寺院などが散在し、カルチェラタン一体のこの地域はモンマルトルと並んで古いパリらしさを一番感じさせてくれる地域でもあります。

 4月6日から休みをとってバルセロナに行ってきました。13年ぶりの訪問でしたが、いつ、どこに行っても変化の少ないヨーロッパにあって、ここはオリンピックを経験したせいでしょう、珍しくいろいろ変化がありました。パリから飛行機で約1時間半、ヨーロッパに住んでいるメリットを一番感じることができます。

今度はフランスの田舎をレポートする予定です。

 先週の土曜日あまりにも朝から天気がよかったのでペリフェリック(パリをぐるりと取り巻く高速道路)からバンセンヌの森の中にある動物園に家族で行きました。ここは知る人は知っている(かもしれない)幻の珍獣、オカピがいます。頭はキリン、胴は馬、お尻はキリンという動物で、20世紀に入って初めて今後の奥地の密林で発見された文字どおり幻の動物です。動物図鑑には必ず載っていますが、たぶん日本にはいない.....と思います。動物園に入るとすぐのところに岩山が作ってあり、そこにバーバリーシープなどの岩山にすむ動物が放し飼いになっていますが、その上に展望台が作ってあり、そこからバンセンヌの森とパリの町並みを一望できます。写真で中央に聳えているのがモンパルナスタワー(高さ209m)、その隣に小さくとんがっているのがエッフェル塔です。とにかく広々した動物園で、動物舎も広々としているのが印象的です。次男はこんなにまじかに象を見たのは初めてだったので大喜びでした。春は繁殖の季節でもあります。実感しました。動物園の前に立ち並ぶ屋敷の豪華さは素晴らしく、こんなところに実際住んでいる人が入るのかと思うと...ため息が出ます。A bientot!!


珍獣オカピ

ゾウ


Date: Mon, 07 May 2000



麻酔科の皆様

 春をジャンプ(sauter)していきなり夏のような暑さになってしまったパリからです。5月の初めまではコートが手放せない程だったのに、今では夕方遅くまでT-シャツ一枚でも全然寒くありません。日本もむちゃくちゃ暑い様ですね。やはり地球温暖化のせいなのでしょう。

 こう暑くなると、今度は地下鉄に乗った時のすえた、汗のにおいが強烈です。冬は寒さのせいでほとんど気にならなかったのですが、暑くなると車内には冷房もないし、いかにも少なくとも2週間は風呂にはいっていないだろうなという人もたまにいるしで、毎日風呂に入る習慣のある、体臭の少ない日本人にとってはこのにおいはたまらないものがあります、特にラッシュアワーは本当に__。こちらで香水が発達するのも無理がないといえます。個人的には、有名な、あのブランドの香水でもちょっときつすぎる感じがします。日本でも平安時代に香道が発達したのも、貴族はほとんど風呂に入らなかったからだと聞いたことがあります。

 さらに日は伸び、夜9時半を回っても小さな子供が砂場で遊んでいる姿を見かけます。夜遅くまで賑やかだし、それでいて朝は早いし、こちらの人の体力はいったいどうなっているのだろうといつも感心してしまいます。スペインのようなシエスタの習慣もない様ですし、やはり、肉を常食としているせいなのでしょうか?先日、エッフェル塔の真ん前でパリ市の無料イベントとしてセイジ・オザワ指揮のオーケストラが野外で第九を演奏しました。演奏にあわせてバックのエッフェル塔も照明を変え、本当にパリらしさを感じるイベントでしたが、演奏が終わったのはなんと夜中の12時半!合唱隊の子供達も当然のことながら寝ていない訳です。コンサートの開演は軒並み8時半からだし、日本人の感覚からすると完全に3時間くらい夜の方向に生活がシフトしている感じです。これはフランスに限らず、ヨーロッパの人の共通した生活習慣なのだと思います。冬の日照時間の少なさから考えると外に出て十分なお日様に当たるのはこちらの人にしては自然な欲求なのです。前にも書いたように子供にビタミンDをわざわざ飲ませる国々です。

(乗馬)

 そういえば、先日のバルセロナ旅行に行った際にも、ランブラス通りという一番賑やかな通りを映画のプロモーションのため全部ポケモンの絵で塗りたくったバスが走っていましたが、日本では最近ちょっと下火の感があるポケットモンスターの人気はこちらでは凄まじいものがあります。アメリカでの爆発的な映画のヒットがインターネットで報じられていましたが、朝の登校の時間に子供を送っていくと、皆手に、厚さ10cmはあるでしょうか、分厚いポケモンのカードの束を持っています。しかも、それらはフランス語で書かれたものだけでなく、英語のカード、スペイン語、そして日本語のカード (!!) まで混じっています。こちらではポケモンのカード、高いです。11枚入りの袋で29フラン、つまり500円くらいします。現地の小学校に通っている、言葉の不自由な長男にとってこのポケモン現象は有利に働き、あまり喋れなくても学校で、公園でカード交換をたくさんの子供と楽しむことができました。ところが__ついにこの子供達の狂熱が学校の先生の逆鱗に触れ、ある日、学校から一枚の書類が配られました。非情なタイトルは"ポケモンカードの持ち込み禁止"。つまり、学校で交換が過ぎるあまり、学業がおろそかになる子供が非常に多い。私達の努力を無にしかねない、というわけです。お菓子やおもちゃ持ち込みが完全に自由なこの国の小学校にあってこの措置は異例なことなのだと思います。その数日後に同じくインターネットでイギリスの小学校の校長が販売会社に対して、不当にカードの種類を増やして希少性をあおりそれが万引きや恐喝などの犯罪を生み出している、と抗議した、という記事が載りました。ヨーロッパ中がポケモンの襲撃を受けています。

 なぜ、こんなに子供達の人気を得るのでしょうか?それには、こちらのdomestic(?)なマンガはハッキリいって全然可愛くないか、もしくは雑な仕上げということがあげられると思います。日本の緻密な、顔の陰影や木漏れ日までしっかり書き込んでいるマンガに見なれていると、いかにもお粗末な感じは否めません。たまーにきれいなマンガが放映されていて、これ凄くきれいだね、ヨーロッパのマンガと思えない程、なんて言っているとパトカーに案の定、日本語で"警視庁"などと書いてあります。また、こちらのマンガには夢中になれるようなキャラクター性が乏しいことも理由の一つとしてあげられそうです。最近はお菓子屋の前に例のガチャガチャまでが並びはじめ、そこら中のおもちゃ屋でカードの品切れ状態が続出しています。現在、パリ中でカードは売り切れで買えません。

 先日Odeonに行ったら、きれいな本屋があり、中を覗いたら日本のマンガでぎっしりで、しかも全部フランス語訳なのです。ドラゴンボール、ブラックジャック、電影少女__.おびただしい日本のマンガばかりで驚きました。また、先日もののけ姫がこちらで封切られましたが、いろいろな新聞や雑誌に取り上げられ、"マンガのクロサワ"などと絶賛されていました。やはり、マンガを芸術の域まで高めたのは日本の世界に誇っていい業績なのだとマンガ好きの私は感動しました。

さて、いいこと(?)ばかりを書いてきましたが、ここ立て続けに頭の痛いというか、頭にくることが続いています。

その1

 なんと、現金を運ぶ際の警備係のストライキが先週から突然始まり、最初はそんな人たちまでストライキをするのかと思って笑っていたら、今週からそこら中のATMがじわじわ使えなくなってきました。

 店や銀行で使用された現金は1回フランスの国有銀行に戻し、集まった現金を古いのと新しいのに選り分け、新たに各銀行や金融機関に配分するという手続きを踏むらしいのですが(と言っていると思う)、その現金を集配する役目がストライキを起こしてしまったので、あちこちのATMのスクリーンに"vide (からっぽ) "という貼り紙が次々に貼られ、今日木曜日までに周りで生きているATMは滅亡してしまいました。稀に貼り紙のないATMを見つけ、カードを差し込んで暗証番号を入れても、あなたの口座に現在これだけありますが、ひきおとしできませーん、というメッセージが出ます。なめとんのかっ!といいたくなります。

3月の税務署のストライキといい、今回の前代未聞の警備員のストライキといい、ホント、凄い国です。

その2

 約1ヶ月前に台所のレンジが使えなくなりました。こちらでは爆発すると危険(超古い建物が多い)という理由でレンジはほとんどの家庭で電気式が使われていますが、お湯を湧かすのに40分かかるようになってしまい、修理を依頼しました。裏を見ると完全に錆びていてよく今までもったという感じです。不動産屋との契約では台所の冷蔵庫やレンジは"equipe (英語でいうfurnished)"のため、家主または不動産屋がなおす義務があります。ところが、待てど暮らせど連絡がありません。2週間立ってもう一度電話をかけると"家主に電話するのを忘れていた"との返事。困っているから早く修理してくれと頼み、また待たされること1週間。再び電話すると、"誰が修理費用を持つか決まらないから待て"といわれ、本当に嫌になりました。今度火曜日までに修理するというので、火曜日、仕事を休んで待っていても結局誰も来ずで、本当に頭に来てこちらから電話すると"まだ支払いの問題が済んでいない"といわれ、がっくりしてしまいました。

 お向かいの方に相談すると"フランスではよくあることだ"といわれました。このいい加減さによっぽど家賃不払いで対抗しようかと思いましたが、知り合いの方に相談すると"時期が悪い"とのこと。つまり、家賃不払いは借り手には春から夏は分が悪いというのです。

 冬には法律で家主は借り手を追い出せないという法律があるのだそうです。つまり、寒い冬に追い出してしまうと凍死してしまう可能性があるのでどんなに借り手に問題があっても、退去させられない。そのため家賃不払いに走る人の数がグーンと増えます。しかし、春が来て暖かくなるとこの関係は逆転します。つまり、家主の方が力が強くなり、追い出しも可能になる訳です。借り手が皆おとなしーくなります。つまり、今は自分達も大人しくしていないといけないのです。しくしくしく__。未だにレンジ使えません。仕方なく、中華街でイワタニのカセットコンロを買ってきてそれで炊事しています。

 フランスは先進国の中でトランキライザーの使用量がダントツに多いそうです。理由がよーくわかりました。もっとも、ある他の国の方に聞くと俺の国の方がたくさん飲んでいるといって自慢していましたが_?

 先日近くの方に家族全員で招待され、楽しく過ごすことができました。ところが招待されたうちの1人の方が浮かない顔をしていたのでそれとなく尋ねると、前日車のボンネットをかっぱらわれた、と悔しそうに言うのを聞き、仰天しました。路上駐車が当たり前のこの国ですが、朝、車に乗ろうとするとボンネットがなく、エンジンがむき出しで放置してあったそうです__。

(屋外でのホームパーティー)

 こちらはキリスト教に根ざした行事がいろいろあり、今日はクレープを食べる日、今日は七面鳥の日、今日は仮装行列と本当に興味深い習慣ばかりです。開いたトビラを押さえるのはもちろん、若い、いかにも今風のお兄ちゃんでも、ベビーカーをもって階段を上ろうとしている母親に近寄ってさっと代わりに持って階段を上っていく姿はごく普通の光景です。

 しかし、その一方、たばこを火がついたまま平気で放り投げるマダムや赤ちゃんの目の前でたばこをふかす母親に驚きます。両方の文化の違いを自分の7歳の長男はどう受け止めているのか、これまた非常に興味深いものがあります。 それではAu plus!!



麻酔科の皆様

しばらく開いてしまいましたが、パリ便りもついに12回目を迎えました。

 日本は空梅雨でとても暑い日が続いているようですが、こちらは本当に涼しいです。不安定だった気候は相変わらずで6月末には雷がなったかと思うと雹が降ってきて頭にぼこぼこに当たり、返品のBMWのようになりました。日が照ると急激に蒸し暑くなり、T-shirtだけでも暑くてたまりませんが日が陰ると上着無しではいられません。日陰と日なたの温度差がこれ程あるとは思いませんでした。そのためか、この1ヶ月風邪を繰り返し、6月はパリ便りをとうとう書けませんでした。

 現在住んでいるアパートはパリ15区にあり、モンパルナスまで歩いて15分、エッフェル塔まで自転車で10分ちょっとというなかなか便利な所にあります。そのうえ、毎週火曜日、水曜日、日曜日とすぐ目の前の通りでマルシェ(定期市)が立つので買い物も本当に楽しいです。ちなみに日曜日には近くのラスパイユ通りで全商品BIO(つまり無農薬・有機農法)の市が立ちます。アパートの広さはバルコン(ベランダ)を入れて60m2(2部屋+台所+浴室)ですから家族4人に対してそんなに広い訳ではありませんが、周りの地理と安全性でここに決めました。ロックはまず通りに面する門に電子ロック。次に建物の入り口に同様の電子ロック。次にその内側にもう一つ鍵。エレベータの入り口にまたまた電子ロック。そして各家庭の玄関にもうひとつ鍵という徹底ぶりです。15区、16区は泥棒が多く、木の扉のアパートはすぐに破られるため盗難保険に加入できないという話を聞きました(バカンスシーズンは誰もいなくなるため特に盗難被害が多いそうです)。しかしながら、やはり首都だけあって家賃はそれなりです。建物の隣には色とりどりの花が咲き乱れる公園になっていて、学校が終わった後は子供連れの家族やひなたぼっこの老人達ででとても賑やかです。きれいな庭を眺めながらゆったりベランダに座ってコーヒーを飲んでいると、陽の長さも手伝って本当に時間のたつのを忘れてしまいます。

(アパートの前)

 近くのGeorges Brassens公園には週末古本の定期市が立ちます。古い、あのデュマの書いた料理の本を偶然見つけたり、同じく古いヨーロッパやアフリカの地図を売っているのを見ると本当に喉から手が出る程欲しくなります。Porte de Vanvesという所に行くと今度は骨董の定期市が出ています。駒の足りないチェスや、重りのない分銅計り、ふたのないティーポットなど下らないものも多いのですが、素晴らしい彫刻の施された額縁や大きな鏡などもあり、これまた物欲がかき立てられる思いです。他のもアフリカのいろいろな民族のお面や親指ピアノのような素朴な楽器、涎が出てきます。しかしながら日本に持って帰るとなると輸送費がばか高く、購入は断念せざるを得ません。パリにいらっしゃる機会があればぜひ行ってみることをお勧めします。  7月は日本でも有名なあのバカンスのシーズンのはじまりでもあります。今年の夏は最初に書いたように本当に寒く、朝の気温も11度から13度とほとんど上がりません。それでも近くの街角、公園、いろいろな所で気軽な無料音楽会が始まり、また6月末からルマン、ツールドフランス、マクニールF1とスポーツの大きなイベントも相次ぎ、その狂熱はサッカーのヨーロッパ選手権で頂点に達しました。ほとんど負けそうでしたが、終了まぎわに同点に追い付き、いわゆるVゴールで優勝が決まった瞬間(夕方10時半頃)、通りという通りはお祭り騒ぎで、クラクションをけたたましくならす車、飛び跳ねながら叫ぶ人々の姿が続き、夜中の2時過ぎまで騒ぎはおさまりませんでした。オデオンの周囲やシャンゼリゼでは明け方まで騒ぎが続いたそうです。

 先日の金曜日はフランス最大の祝日である革命記念日(14 juillet)の記念パレードにシャルルドゴール広場まで行ってきました。こちらの人はテレビでその様子を見るか、バカンスに行ってしまってフランス人はもはや見に行かない人の方が多いようで、実際周りから聞こえるのは英語や日本語などばかり。つまり外国人観光客ばかりでした。

 いつ始まるかと待っていると突然飛行機の編隊がトリコロールの煙りを吹き出しながら凱旋門の上を通過し、ミラージュ、ヘリコプター編隊、巨大なレーダーを載せた偵察機などが次々に頭上を通過します。次に車体をブルーに塗ったオートバイ部隊がシャンゼリゼを走りはじめ、ジープ隊、装甲車団、戦車群が次々に前を通過していきました。

(パリ祭戦車の行進)

 夜はシャイヨー宮の前で記念の花火大会で、実際始まるのは夜11時から!こちらはなんにしてもそうですが夜が非常に遅く、次の日によく響かないなあといつも感心します。子供も夜遅くまで(といっても10時頃まで明るいのですが)走り回っているし__どうなっているのでしょうか?それはともかく、ミラボー橋から眺めたのですが、大形の花火がこれでもかというように上がり、その煙りの中をサーチライトの光が貫き、最後はそれまですべての照明を消していたエッフェル塔がダイヤモンドのように輝くという素晴らしいフィナーレを迎えました。パリは本当に美しい街です。軍事パレードということで敬遠する人も多いようですが、やっぱり1回見ておいてもいいと思います。

(ライトアップされたエッフェル塔)

 子供は6月一杯で学校が終わってしまうため現在はSt Quantinというところ(Versaillesのむこう)にある日本人学校に体験入学し、毎日通学バスで通っています。日本でも学校の終わる21日までの3週間の間ですが、家の長男と同じく現地の学校に通っている子供が全部で20人くらいでしょうか、本入学している子供達と一緒に勉強します。現地の学校に通っている子はやはりフランス語で話すほうが楽なようで、バスの中では日本語よりもフランス語の方が多い様です。先日も体験入学している子供達と一緒にリュクサンブール公園に行ったのですが、追いかけっこをして遊んでいる時もフランス語で怒鳴ったりしているのが印象的でした。彼等の両親は駐在員や国際機関に勤めていらっしゃる方が多いのですが、当然ながら国際結婚の家庭も多いです。金髪の女の子や黒人の男の子が流暢な日本語を話しているのを聞くと環境の力に今さらながら驚かされます。

8月は休みをとってフランス南部の街へ海水浴に行きます。9月は日本からのお客さまが増えます。それではまた。Salut!!

中島芳樹



麻酔科の皆様

 残暑お見舞い申し上げます。今年の日本は熱帯のように暑いと聞いていますが、こちらは森脇先生のいるボルチモアと同じく涼しい夏です。太陽が出ると日射しは強烈ですが、雲がでて日が陰ったり、または一歩日陰に入ると嘘のようにひんやりして上に羽織るものが欲しくなることもしばしばです。パリは今バカンスシーズンの真っ最中で観光地は外国人で賑わっているものの住宅街は駐車している車の数もグーンと減り、定期的に開かれるマルシェも閑散としています。いつも朝行くパン屋さんなどはもう4週間も店を閉めたままで、楽しいことは思いっきり楽しむという非常に見習いたい態度です。こちらでは年間5週間の休日が認められているそうです。

 私といえば、相変わらず書類の問題でばたばたしています。とにかく担当官がバカンス中は物事が全く進みません。2年目の滞在に向けて、早めに準備を、と思っていたら7月頭から最初の関門の担当がいなくなり、そのうち学部全体がバカンスで閉まってしまい、何もできなくなってしまいました。がっかりです。そのかわり、パリは観光シーズンを迎えライトアップなどいよいよ美しくなってきました。計算された美しさに、改めて溜息がでます。

 さて、一つ目の実験が追加の実験も含めてやっとの事で終了しました。エンドトキシンショックと出_性ショックのマウス腸管絨毛における赤血球rheologyの比較で、まずまずの結果が得られました。やはりフランス語での検討は難しく、英語になってしまいましたが(それでも難しい)何とかこちらの教授とのディスカッションを終えました。指導教官との実験のチェックはそのつど開いている時間に行うのではなく、日時を指定した討論会(reunion)という形で行われます。教授が実験の進捗具合をチェックし、それに合わせてこの日時に集会を開くから資料全部と結果を用意していきなさいという訳です。出席者は教授、指導教官と実験者というシンプルな構成です。もちろん誰が聞いていてもかまいません。こちらでも日本と同じで教授は忙しく、しょっ中学会や大学の授業などで1ケ所にいません。時々2時間くらい研究室に顔をだし、こちらが実験をやっている最中に突然 "Yoshiki, cava?(サヴァ)"と声をかけられ飛び上がります。実験の途中にも1〜2回同様な集会が開かれ、その度に現在まで進んだ所、これからの焦点などを1時間くらいのディスカッションのあと最終的に大きな紙に書き出し、それをやぶいて"今後の海図"といいながら渡してくれます。最終的な論文の校正も共用のコンピュータの画面に出しておいて、見ている前で教授が総てに目を通します。イントロダクションとディスカッションの添削には特に時間がかかります。引用している文献があると、"本当にこんなこと書いてあるか?ちょっとこれをみせてほしい"といわれて慌ててそれを見せると、画面を書き換えてこちらを振り返り "D'accord?" と尋ねられます。長い時間かけて非常に丁寧に見てくれます。

 実験も区切りがついたということで、バカンスには大西洋岸の港町、ボルドーからちょっと北にあるLa Rochelleという古い街に1週間行ってきました。車で約4時間、約450kmパリから離れていますが、高速道路は最高速度130km/h、車線も広く、曲がりくねっていないため長距離走っても全然疲れません。それに私の車は1400ccですが、シートが非常によくできていて、これなら何キロでも走れるといった感じです。260km/hまで刻んであるメーターも気分を盛り上げてくれます。またコンソールにはベーシックなフランス車にしては珍しく標準でナビゲーションコンピュータがついていて、給油まであと何キロ走れるかとか、燃費などを刻々と表示してくれるのもちょっとした気晴らしになります。こちらがリアに自転車を積んで150km/hで走っている横をBMWやMercedezが200km/h以上のスピードでばんばん抜いて行きます。と思うとシトロエンの2CVが呑気に一番遅い車線を、それでも100km/h位のスピードで走っています。自転車を4台も積んでさらに大きなボートを牽引しているキャンピングカーや巨大な荷物を満載したカーキャリアを引っ張っている車も非常に多く、バカンスに命を賭けているフランス人の熱意が伝わります。

 ホテルはレジデンス形式の、小さなキッチン(といっても食器洗浄器付き)のあるところで、1日約7500円。港の真ん前に位置した、13世紀に建てられたという古い塔の真ん前の絶好のロケーションにありました。しかも3件隣が観光案内所です。皆こういう場所に2週間以上滞在して、ゆっくり骨休め(といってもいつも骨休めしているようにも見えますが)しているんだなあと思いました。自動車で大きな橋を渡ってIle de Reという島に行き、そこで海水浴です。ビーチ(la plage)に行ってまたまたびっくり。ほとんどとはいいませんが、かなりの数の女の人、太ったおばさんまでトップレスでごろごろ日光浴しています。さらには臨月まじかの妊婦さんまで__脱帽です。そういえばこの季節は近くの公園の芝生の上でも、またちょっとしたロータリーの中央にある小さな庭でさえも皆水着のような格好でぼーっとしていたりあるいは本を読みながら日光浴しているのを見ることができます。やはり感覚が、恥ずかしいとか他人の目をまず意識してしまう日本人とは根本的に違うのだと思わずに入られませんでした。波打ち際には直径60cmはあろうかという巨大なクラゲが打ち上げられていて皆で大騒ぎしていました。

 観光地はそうではありませんが、ちょっと田舎に行くと私達のような有色人種はほとんど見ることはありません。La Rochelle滞在中も日本人を見たのは1週間通じて2、3組くらい。パリとは雲泥の差です。また、高速道路から見える、どこまでも続くひまわり畑をまじかで見たくて、高速をでて、しばらく田舎の風景を楽しもうと思ったら、表示が分かりにくくすぐに道に迷ってしまいました。なかなか店も歩いている人も見つからず、やっと犬を散歩させているおばあさんに出会って天の助けとばかり道を尋ねたら、"私、お金持っていないのよ"と繰り替えし言いながら逃げていってしまいました。これには少なからずがっくりきました。

妻が言うには、多分私の人相が、疲れ果てて凶悪に見えたんだろう、ということですが__。

(典型的な田舎の家)

  帰り道はツールという、世界史をやった方なら聞き覚えのあるツール=ポワチエの戦いで有名な街で高速を降り、ロワール河に沿って点在する城を訪ねました。何しろ城自体が森の奥の方にあり、電車での訪問は不便極まりありません。もし皆さんが行かれるならツールの駅から出る観光バス、もしくはレンタカーが絶対のお勧めです。それにしてもフランスは大きい国です。もちろん中国、アメリカやオーストラリアもばかでかいのですが。特に農業の豊かさ、森の豊かさとそれを大事にしている姿勢には見習うべき点がたくさんあると思います。いろいろな地方があり、それぞれの地方に住む人たちは自分達が住んでいる所、自分達の言葉を大切にしています。

 現在のFernand Widalの研究室には私も含めて3人しか来ていません。残りの8人は8月末までバカンスなのでガラーンとしています。時々わめく声がしてガラスが割れたり、車が急停車して衝突する音がする他は本当にしずかです___。

中島芳樹



麻酔科の皆様

 麻酔科の皆様、8月のバカンスが終わったと思ったら、現在は諸聖人の聖日という日にちなんだまたまたバカンスシーズンです。無事に先週の土曜日から夏時間が終わり、日本との時差も8時間になりました。幸い、去年のように1時間間違えることもなく、無事に乗り越えることができました。

 さて、私は現在Kremlin-Bicetre大学(パリ第12大学、パリ南大学などともいう)の研修医として働いているわけですが、研修医として働くにはパリ大学に学生として滞在する必要がある(らしい)のです。フランスでは大学は10月から始まるために2年目の登録をしに行くわけですが、外国人で給料が出ている身分のため、再び色々な手続きを踏む必要が出てきます。また、フランスの人たちが高等学校を終えると手にするバカレロアは私にはありません。

 そのため、大学の中の各診療科に所属する事務所のような所にコーディネーターと呼ばれる、外国人の事務処理やグラントに関する仕事を行う人たちがいて、そこに書類を持って行き、そこで証明書を書いてもらって大学に手続きに行くという手間を踏むのですが、そこで驚いたことに"あなたは昨年一度も授業に出ていない"と指摘され、"上司から出なくてもよいと言われている"と返答すると"そんなことがあるはずがない"といわれ、しかも少なくとも10回の講議のうち3回試験を受けてパスする必要があると言うのです。

 慌てて、その話を上司である教授にすると、彼も"出ろと言われたなら出た方がいい"といい、直接指導してくれている麻酔科のドクターも"たいしたことないよ(C'est pasgrave.)"と、ここまで手のひらを返してくれると清々しいものがあります。

 いよいよ10月23日は記念すべき第1回目の授業です。朝8時から夕方5時まで昼食時の休みが2時間ありますが、授業の合間は全く休みがないという素晴らしい内容で、しかも動脈圧はPA、上気道はVoies aeriennes superieures (VAS)等と省略されて講義中ばんばん出てくるため頭がくちゃくちゃになります。私を入れて学生の数は大体40〜50名くらいでしょうか。AIDSがこちらではSIDAになるのは御存知の方も多いでしょうが、DNAはADN、DICはCIVD (coagulation intravesselaire dessemine)などとくると、パズルのように目まぐるしく文字を入れ替え、意味を類推することになります。

 今日の講議は1時限がラリンゴスコープの麻酔、こちらでは日本でやるのと同じような麻酔しか今まで見ていなかったのですが、パリ郊外の病院から来ている今日の講師はジェットヴェンチレーション+静脈麻酔を推奨されていました(詳しいことは聞かないように)。しかも、薬の名前は皆商品名で(例えばbreviblocやLoxenなど、なんだかわかりますか)製品名に慣れていず、また日本では未発売の薬も非常に多いために何の薬か類推するのも非常に骨が折れます。

 2時間目は肝臓切除の麻酔だったのですが、こちらは日本と違って肝硬変の患者が少ないのでしょう、肝硬変の時は麻酔管理が全然異なるという説明がほんの少しあっただけで、バイパスを使用した切除法や解剖、術後の合併症などに話が集中し、またSwan-Ganzで輸液の評価が必要と聴いて、所変わればなんとやら...だなあと思いました。

 さて、次の日はやはり8時から授業が始まり、evaluation de conaissance(知識の評価)という小テストがいよいよ3時から始まります。私は事務室で、テストをうちに持って帰ってやっていいか聴いて大笑いされました。

そして、翌日は試験。ひたすら、疲れました。

問題は1時間で4題。以下の通りです。

1 術後嘔吐の防止およびその処置について記せ。

2 78歳の男性がTHA(股関節置換)の手術を受ける。術前の患者評価について記せ。

3 脳死判定および治療方針について、臓器移植との関連において論述せよ。

4 35歳の男性が交通外傷にて顔面を含む15%の熱傷を受けた。最初の8時間の治療について治療方針および処置について述べよ。

 問題用紙を配る時、私の顔を覚えてしまった麻酔科の医局の人が小さい声で"ボンクラージュ(頑張れ)"と言ってくれましたが、わたしには"このボンクラ"と言っているように聞こえました。最初フランス語で書き始めたのですが、3行書いて時計をふと見るともう15分たっていました。とたんに全身の血液が逆流し、気がついたら英語で書きなぐっていました。それでも時間ギリギリで、滞在許可証をとった時以来の消耗でした。しかし、試験の解答用紙は名前を記入する所が3角に折れるようになっていて、要するに採点の際にブラインドにしておくのですね。なるほどなあと思いました。最も私の場合は全然関係ありませんが。

 今後このような試験を少なくとも後2回は受けなくてはいけません。まあ内容は見てお分かりのようにそんなに難しくはありません。但し日本語でかけるならです。

 今日の授業はひたすら臓器移植の講議で、意味は良くわからないものの非常に勉強になったと書いたら負け惜しみでしょうか。フランスでは1952年最初の腎移植が行われ、1968年に最初の心臓移植、1972年に最初の肝臓移植、ついで1987年に最初の肺移植が行われました。1999年には脳死と判定されたケースが1916人、その内臓器提供となった人数は970例にのぼるそうです。1999年における臓器提供を待つ人数は5879人、平均待機時間が(地域によって格差が大きいですが)平均11ヶ月とかなり早いペースです。1996年のデータでは1年間に心臓移植が397例、肺移植が96例、肝臓移植は1056例、腎移植は1636例がフランスでは行われていて、移植の麻酔は一般化しています。

 移植に関する倫理的な基準が正式に制定されたのは1994年(Loi de Bioethique1994)だそうで、これは思ったより歴史が浅い印象です。移植された臓器の特性や麻酔法の選択、免疫抑制剤による麻酔上の問題点等、日本では教育を受けたことがなかったので非常に興味深いものがありました。私の所属するKremlin-Bicetreでも子どもに対する肝臓移植は非常に一般的で、1ヶ月に数例のペースで手術が行われています。

 とにかく、色々な経験ができることは色々な意味で嬉しくもあり、悲しくもあります。12月には解剖実習を受けることになりました。最もこれは自分の希望ですが...。とにかく、泣いても笑ってもあと1年なのでいろいろ経験できることは経験しておこうと思っています。来週はまた労働許可証の申請です。ぼんくらでなくてボンクラージュです。

それでは!



謹賀新年あけましておめでとうございます。

旧年中は大変大変お世話になりました。

今年も1年健康ですばらしい年になりますように。

 もう暫く皆様には御迷惑をおかけしますが、お許しください。皆様の御多幸お祈りしております。  年末の12月26日から1月1日にかけて駆け足でしたがベネチア、フィレンツェ、ローマに行ってきました。パリから飛行機で約2時間。ヨーロッパに生活している喜びをまざまざと感じる瞬間です。あいにく、ベネチア空港は雨で、気温も低く、どんな旅になるかと心配でしたが幸い後半のローマ滞在中は暖かい快晴に恵まれ、すばらしい旅となりました。  皆さんはイタリアを旅行されたことはありますか?私は今回が初めてだったのですが、フランスとは全く違った意味で、色彩豊かなすばらしい国でした。このような土壌であのすばらしい色彩とデザインの感覚がうまれてきたのだろうと思います。  今回の旅行の前は仕事がけっこう忙しく、全くガイドブックを見る暇もなかったのですが、今回の旅行でベネチアが海の上の小さな島に建てられている町で、午前中は住居や広場がほとんど水没しているのをみて心底驚きました。新約聖書の著者であるマルコの墓のある聖マルコ教会とその前の聖マルコ広場には木の板が通路のように並べられ、皆その細い板の上を濡れないようにそぞろ歩きする様ははっきり言ってかなりおかしな光景です。板の上の観光客を誘導する警官は腰まであるような長靴を履き、水の中をジャボジャボ歩いています。観光客相手の店も開いて入るのですが、入り口まで押し寄せる海水に誰も近寄れません。しかも10月から12月にかけては風と潮の関係でこの光景が毎年続くと聞きました。とにかくすべての建築物は砂と泥の上に立っているのでなるべく重量を軽くするために極力屋根などには木材が使われ、また窓の部分を大きくして軽くして、そのためガラスの技術(有名なベネツィアグラス)が進んだのだそうです。車の乗り入れも殆どの部分で禁止され、その分網目のように走った水路を小舟や有名なゴンドラが進んでいくわけです。ゴンドラは40分、歌付き口笛付きで約1万円 (18万リラ)。少し高めとは思いますが、ゆらゆら進む舟の上で寝転び、カンツオーネを聞きながら狭い水路を進んでいくのはなかなか気持ちのいいものです。途中マルコ・ポーロの家や宮殿の前も通っていきました。  その後一路バスでフィレンツェへ。ホテルには夜到着し、朝食後早速市内観光に出かけました。ホテルは駅のそばで、有名なウフィツィ美術館も歩いて15分くらいです。非常に混雑していると聞き、少しでもすいている午前中に中に入ろうと思いましたがやはり、1時間程並ばないと中には入れませんでした。後で聞いた話だと前もって予約が可能で、そうでなければ昼食時には一時的に15分程で中に入れる時があるようで、朝一番に行くか、この時間に行くと良い様です。隣の広場には、美術の教科書でお馴染みの大きなミケランジェロのダビデ像があり、気分は盛り上がります。そしてあのボッティチェルリの大作『ビーナスの誕生』、『春』の本物が目の前に出現した時に感動はピークになりました。また、ヴェロッキオに筆を折らしめた『キリストの洗礼』では若き日のレオナルド・ダ・ビンチの筆力に感嘆しました。他にも部屋一杯に置かれたカラバッジオ、ラファエロの聖母子像など次から次へと出てくる名画に出るのはため息ばかりでした。その後、大聖堂のある広場にあるカフェで本場のピザを食べ、サンロレンツオ礼拝堂やベッキオ橋を散策しました。 同じラテンの国ながらフランスとイタリアはいろいろな点で大きな違いがあります。まず第1に、広場はそこら中にあるのですが、カフェの数がフランスに比較して圧倒的に少ないこと。同じことはローマでも感じました。次に教会が(時代にもよりますが)かなりカラフルというか縞模様があ?たり、装飾に富んでいること。一歩間違うとごてごてになるのでしょうが、そこがイタリア、不遜な言い方ですがおしゃれなのです。フランスのゴシックも装飾に富んでいて美しいのですが、ベクトルが違う方向を指している感じです。 さらには、国民性というか、道行く人、レストランで出会う人々やボーイ、皆が皆子供に大して寛容です。いや寛容というよりも子供好きなのです。皆子どもを見るとニコニコよってきてあやしてくれるのを見て、なぜ同じ民族なのにフランスとイタリアではこうも違うのだろうかと不思議に思いました。とにかく、この点だけでも子供連れでいつもパリで苦労している身にとってはイタリアに来る価値があるというものです。子供連れでヨーロッパ旅行をお考えの方にはイタリアは非常に良い国です。旅行会社からスリかっぱらいが非常に多いと聞いていましたが、パリに比較してもあまり道路に座り込む物乞いは少なく感じました。物価が安いせいでしょうか?  そして大きく違う点の最後。犬の糞が圧倒的に少ないこと。道行く犬連れの人は皆ちゃーんとビニール袋でそれをひろいあげ、ゴミ箱にほおりこんでいたのが非常に印象的でした。また、こんなにフランス語が通じない国だとは思いませんでした。むしろ絶対的に英語です。フランス語で道を尋ねたり、物を買おうとしても、返ってくる言葉は99%英語です。4つ星のホテルでさえそうです。息子がローマに移動した後にフィレンツェのホテルに忘れ物をしたのを思い出し、パリに送ってもらうよう電話をかけた時もフロントに出た人は『英語で喋ってくれ』といい、こちらが言葉に詰まって途中からフランス語になると『今フランス語がわかる人に代わる』という風なのです(英語は悲惨にも最近全然喋れなくなりました。先日イギリス人と話す際に"my children"という言葉がどうしても出てこず、"my...enfant"となってしまい、愕然としました)。試しに昔ちょっとだけ旅行中に覚えたスペイン語で警官に道を聞くとすぐさまスペイン語で返事が戻ってきました。確かに聞こえてくるイタリア語は非常にスペイン語に似ている印象があります。こちらに住む人に聞くと、書いてあるフランス語はある程度理解できるが、話し言葉は発音が全く違うのでわからないと言っていました。また、イタリアの学校教育では殆どが英語で、フランス語を選択する人はどんどん減っているそうです。途中シエナの町に立ち寄りながら、ローマに到着しました。ローマは凄い町でした。あちこちに紀元前のローマの遺跡が顔を出し、その技術の高さには驚嘆するばかりです。パリに古い建造物があるといっても最大1000年くらいでしょうが、こちらは紀元前500年くらいから街が成立し、紀元1世紀にはもう6階建てのアパートがあったくらい桁外れに古いのです。日本でいうと弥生時代です。完全な形で残っているローマ時代の建築物としては球形の天蓋を持つパンテオンが知られていますが、これももう1800年の年月が経っています。ローマでの最大の目的はシスティーナの礼拝堂を飾るミケランジェロの天井画でした。しかし、今年はイエス・キリストが生まれてちょうど2000年目の大聖年、しかもその最後の日は巡礼する人でバチカンは溢れ返り、とても小さな子供連れで長時間並んで美術館に入るのは無理でした。その代わりに入ったサンピエトロ大聖堂は入り口右側にミケランジェロの代表的な彫刻である『ピエタ』が置かれ、また左手にはラファエロの『キリストの変容』(複製)が壁一杯に描かれています。内部の装飾は今まで拝観したどんな教会よりも壮麗で、バチカンの古代から続く絶対的な力と荘厳な歴史を感じることができました。ローマでは天候に恵まれ、まるで日本の冬の太陽のような穏やかな日射しに包まれてのんびりした大晦日と正月を迎えました。夜はラテンの国に相応しく、新年の瞬間花火と爆竹、そして自動車のクラクションが一斉に鳴らされ、馬鹿騒ぎは夜中の2時くらいまで続いたようです。 夜、ローマを発った飛行機は予定通りパリに到着しました。パリはどんよりとした雲におおわれ、しとしと雨が降っていました。こちらは1月1日こそ新年の休みですが、2日からもう仕事が始まります。私の翌日から出勤です。相変わらず滞在許可証の更新がなかなかうまくいきませんが、役所との戦いももう終盤戦です。秋には帰国予定です。平穏な1年でありますように。

中島芳樹



麻酔科の皆さま

 新年が始まり、こちらの職場も普段通りとなりました。さて今回は号外として「第一回フランス度!勝手にチェックリスト」を作ってみました。ここフランスで見聞きして感じたことを勝手な解釈のもとにいろいろ書いてきましたが。今回は新春特別号として、「第一回フランス度!勝手にチェックリスト」を作りましたので、どうぞお楽しみ下さい。あくまでも独断と偏見および体験で書きましたので、かなりいびつな解釈になっているきらいがありますが、1年半住んでみて、非常に気楽に構えられるいい国だと真剣に思っています(女の人は相変わらず恐く、近くにあるパン屋の蛙おばさんの前でも未だに声が上ずるのを禁じ得ません)。禁転載!

 「はい」と答えた数によりフランス度がわかるように作ってあります(私が)。

 あくまでも独断と偏見で作りましたので、その点はご勘弁下さい。

 ★5「はい」が35個から40個まで 大至急フランスへ移住して下さい!

 ★4「はい」が25個から34個まで フランス生活が肌に合っているかも?

 ★3「はい」が15個から24個まで 旅行程度でやめておくのが懸命です!

 ★2「はい」が5個から14個まで  日の丸が手放せないのはあなたです!

 ★1「はい」が4個以下       ニッポン!チャ!チャ!チャ!


1.お酒がないと生きていけない

2.風呂は1週間に一度でいい

3.無闇矢鱈に飛ばしまくり、どんな狭い隙間にもそのまま突っ込んでいってしまうタクシーに乗り、妙に体の変な場所に力が入ってしまっても何とも思わない

4.何を言われてるかわからなくても平気でダコーといえる

5.犬にべろべろになめられた手を洗わなくてもおにぎりを頬張ることができる。

6.約束をすっぽかされても「やっぱり約束なんて破るためにあるものさ」と開き直ることができる

7.階の途中でエレベーターが止まってもじっと待っていることができる

8.トイレがなくても、物陰ですることに抵抗がない

9.とても混雑しているシャルルドゴールエトワール広場を平気で横切ることが出来る

10.約一ヶ月の間、地下鉄がストで止まっても職場まで毎日平気で 10 kmの道のりを歩ける

11.真夏の満員の地下鉄で文字では表せないほど本当に汗臭い匂いを「臭い」と思わないで涼しい顔で立ってられる

12.子どもにギョウ虫がわいていると聞いても、大したことだとは思わない

13.子どもに高熱があっても、解熱剤で下げ、素知らぬ顔で託児所に預けてしまえる

14.知らないのに「知っている」と平気で言いのけ、間違った答えをすることは、「知らない」と言うことよりも相手に喜ばれるものだと信じている

15.その時さえよければ、平気でうそをつくことができる

16.仕事もしないで一日中お喋りするか昼食に3時間費やしてもお給料をもらうことに罪の意識を感じない

17.「あしたまで待ってね」と言ったら、それは「1ヶ月は待ってね」という意味であり、「1ヶ月待ってね」と言ったら、それは「一生待ってね」という意味であることがすぐに理解できる

18.赤信号で平気で渡り、途中車が突っ込んできても真ん中で立ち止まり運転手を睨んでしまう

19.夜中騒いで昼間も騒ぐ生活が性に合っている

20.順番待ちでどうどうと間に割り込み、文句を言われても「前から俺はここにいた」と開き直ることができる

21.目の不自由な方が杖を持って歩き、その杖にいくつもの犬のフンが突き刺さっていてその下に「街をきれいに」と書いてあるパリ市の美化キャンペーンのポスターに妙に好感を持ってしまう

22.一週間に一度、電気をつけるたびに「パンッ!」と電球が切れても、「あーまた切れちゃったね」と言ってのけることが出来る

23.車のクラクションは、挨拶代わりに使うもので、誰かが鳴らし始めたら、絶対に自分も鳴らさないと気がすまない

24.お隣のイタリアがどんなに素敵だとわかっていても、やっぱりフランスが最高だと言い切れる

25.公衆トイレで用を足した後、すこしもたもたしていているうち自動的に扉が開いてしまい、一生懸命閉めようとして苦しんだことはない(注:パリの公衆トイレは防犯の為5分くらいで自動的に開きます)

26.道路を歩く時下を見ないで歩いても犬のフンは踏んだことがない

27.車道の真ん中でバスの運転手が友だちが歩道にいるのを見つけて長々と話をし始め、それが原因で大渋滞になっても、「早く進めよ−」とは誰も思わない

28.バカンスに行くお金に困ったら、とりあえず自分の車を売りに出しても絶対行く

29.妊婦の前だろうが赤ちゃんの前だろうが自分が妊婦だろうが堂々とタバコが吸える

30.自分を棚にあげるのが大好きである

31.人と会ったら、とりあえず反射的に(相手がマダムでも)「ボンジュール、ムッシュー」と言える

32.「遠慮」「謙遜」「あげる」という言葉は聞いたことがある.....

33.人にものを頼んだ時に「俺は頼んだことを忘れるから、お前は忘れないでやってくれ」と言ってしまう

34.ごはんがおいしくなくても生きていける

35.めったにはないが偶然にもおいしい和菓子(別名とらやの羊羹とも言う)を見つけたとき、宝物を扱うかのごとく大事に一口をとても小さく切り分けて、いつも食べる時間の3倍もかけて食べることなどしない

36.ファストフードのレストランで従業員がソーセージを落として、何事もなかったかのようにひろって売りつけるのを目撃しても、何も感じない

37.雨で道に水が溜まっているとわかっていても、車で派手に水をはねさせ、バスを待っている人々に浴びせかけても平気だ

38.(続・水はね篇)しかもその人々が大声で文句を言い始めても、車の窓を開けて「たいしたことじゃない (C'est pas grave)」といえてしまう

39.こんなフランス人ばかりでもなぜかこのフランスに好感を持ってしまう

40.「明日できることは今日するな」という言葉が大好きだ!

いかがでしょうか?

中島芳樹



医局の皆様

 2001年も早3ヶ月を過ぎ、岩本先生が出発し、森脇先生が帰国されるのですね。森脇先生が出発される前は2年て長いなーと思っていたのが、もうあと半年で私も帰国ですから改めて月日のたつのが速いことに驚かされます。

 相変わらず、言葉の壁には悩まされ続けています。英語は殆ど完全にしゃべれなくなってしまいました。ということはやはりフランスにいる間は英語を喋る機会が本当に少ないことを意味していると思います。来月早々学会発表があるのですが、英語が出てくるかどうか、日本にいた時よりももっと心配です。

 実験は2つめの追加実験が終了し、3つめがスタートしました。こちらも相変わらずのマウスですが、だいぶ慣れてきました。その代わり、レスピレータのトラブルが多いので(従圧式、呼吸数140回/分)時々お亡くなりになるのは変わっていません。一つめの実験はエンドトキシンショックの量によって低血圧群(~40mmHg)と正常血圧群(70mmHg)の2群を作成し、また別に脱血による出血性ショック群(40mmHg)モデルを作って腸管微小絨毛内の赤血球速度および流入量を比較するものでした。2つめはエンドトキシンモデルにノルエピネフリンおよびバソプレッシンを使用して、各々の赤血球動態に及ぼす影響を調べました。

(実験装置)

 そういえば、昨年の便りに試験を受けなくてはならなくなった顛末を書きましたが、1回目の試験の結果は8/20、つまり20点満点で8点!言葉はさておいて内容にはちょっとは自信があったのに.....Jacquesに言うと"pas mal(悪くない)"というのですが、うちの長男に言うと『はって〜ん?』と思いきりバカにされました。先日学生相手の講議と書きましたが、思い違いをしていました。こちらでは研修医(アンテルヌ)は身分は学生なのです。ですから、私も研修医の身分でこちらに来ていたので、こちらの研修医と同じく、講議もでなくてはいけないし、試験も受けなくてはならないということなのです。道理で内容が学生相手にしては高度だなあと思っていたのですが、疑問が解けました。

 それにしても、麻酔科相手にしては講議の内容の多彩なことには驚かされます。先日、臓器移植の問題について紹介しましたが、その後も抗生物質の使い方や感受性試験の読み方、逆に感受性試験からこの細菌は何が考えられるかを判定する方法などがみっちり行われ、特に一番最後の判定法の時は順々に一人づつ当てられ、皆次々に『これはエンテロバクター』とか『この結果からこの抗生剤は感受性無しだと思う』などと答えていき、先生も『トレビアン』とか言いながら段々順番が近付いて、私の2人前で質問が終わった時には冷や汗がでました。なんで俺はこんな所にいる?と思いながらその時は真剣に抜け出したかったです。来週の講議は2日間かけて術後の栄養管理です。ふー!

 それにしてもこちらの教官はいろいろな病院の教授クラスが来るのですが、教官によっては、講議しながら机に座って足を組んだり、女性の中には素晴らしい刺繍のついたながーいチャイナドレスやへそだしルックで教室に来る先生もいて、いちいち驚かされます。そういえば、先日小学校の例年の行事で朝から仮装をしてそのまま授業など一日学校で過ごす日があったのですが(キリスト教の風習で、mi-careme、ミカレ−ム、謝肉祭)その日の先生方の格好もド派手で、巨大なかつらやピエロの赤鼻をつけたりして、しかも堂々とその格好で外を歩いているので笑えてきます。子供達もインディアン、カウボーイ、魔女など思い思いの凝った扮装で登校してきます。うちの子供達は長男が日本のかすりの着物にはちまき、下の子供はピカチュー(こちらではピカシュー)の格好で学校に行きました。そのままの格好で先生も生徒も一日中授業を受けるわけです。上の子は今CE1。日本では2年生に当たりますが、日本同様かけ算が始まる学年でもあります。しかし、これまた面白いのは最初から0X0から10X10まであり、しかも1ヶ月もたたないうちにもう3桁の縦書きかけ算なのです。更に驚くことに、かけ算は引き算の前に習うのです。中学校では電卓持ち込みが認められていて、つまり、計算力よりも思考力重視なのでしょう。さすがはデカルトの国。

 3月に入って気温がぐんぐん上がり、セーヌ川ぞいや街路の桜の木が花を咲かせています。早咲きの桜は日本によりもかなり色が濃く、花と同時に葉ももうかなり出ているのですが、今頃咲いているものは日本の桜に色も感じもよく似ています。新聞などで御存知だと思いますが、今年はフランスは雨が非常に多く、雪解けと相まってあちこちで洪水の被害が続いています。セーヌ川の水位が上がってしまい、バト−ムッシュなどの遊覧船が橋の下を通れない状態が続いています。ドイツも今ライン川が氾濫しているようですし、今年の初めにはイタリアでも洪水で大きな被害がありました。アルプスの万年雪の後退がかなりの速度で広まっているようです。2月のバカンスの際には、スイスに出かけた人たちが例年になく暑かった!と驚いていました。地球温暖化がもたらす影響があちこちに出ています。また狂牛病の騒ぎもまださめやらぬうちに今度は口蹄疫(fievre aphteuse)の被害が拡大し、肉屋の被害も甚大です。先月末にはクルド人の難民を載せた船がフランス南に座礁し、難民問題がEUの問題として大きく取り上げられるなど世界のとどまることのないダイナミズムを嫌でも感じさせられます。こちらでの日本のニュースは経済の急速な墜落(une chute)とやはりサッカーでしょう。子供の学校でも先日の日本対フランス戦はクラスに日本人がいるということで関心が大きく、週が開けた月曜日には長男が『みんなからジャポンは思ったより弱くないっていわれたよ!みんなやさしいね』と言っていました。私自身も長男と一緒にパリ郊外にあるStade de France(ワールドカップの決勝をした所)で観戦したのですが、フランスチームは本当に動きがやわらかいの一言でした。

 とにかくあと半年です。経済の墜落で一時は1フラン=14.9円まで行きましたが、現在は16.9〜17.1円くらいです。それでもこちらに初めてきた頃は17円くらいだったと記憶しているので、これ以上レートが悪くならないのを祈るばかりです。今度の学会はスエーデンです。ちょっとまだ寒いのですが、ついでにノルウェーまで足を伸ばしてフィヨルドを見てくる予定です。飛行機で約2時間。パリはどこに行くにも便利がいいです。

中島芳樹



スナップ

EURO STAR
グラン=パレ
ジャンヌダルク火焙り
モレステル近郊の城
モレステル近郊の城よりの風景
ぺルージュ日時計
ぺルージュの街並み

イタリアのペルージャから移住してきた人たちが造った街

中世の面影が残る
ペルージュの聖母
ロダン美術館
シャンゼリゼ大通
オルレアン大聖堂
モンサンミッシェル



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