●神話の時代

人の創造

神は自分自身をモデルとして人間を作り、これに命を吹き込んで、生きる者とした。これが最初の人工呼吸といわれています

 「人の創造」

 ミケランジェロ

女性の創造

紀元前4004年

「神はアダムを深く眠らせると一本の肋骨を取り出しイブを創造し、其所を肉でふさがれた」その間アダムは全く痛みを感じなかったという(旧約聖書・創世記第2章)。これが最初の麻酔といわれています



 「女性の創造」

 ミケランジェロ



 「イブの創造」

 Simon Bening



 「イブの創造」



 「イブの創造」

医神たち



 「ギリシャの医神アスクレピオス(中央)とその家族」

 彼は手術をしなければいけない患者の感覚を無くすためにネペンテと呼ばれる薬を一服のませたという

 彼の息子のマカオンとポダレイリオスは外科医と内科医との守護神となり、娘のヒュゲイアとパナケアは健康と薬の女神となった



 アスクレピオス


 ヒュゲイア


 「エジプトの医神イムホテップ坐像」

 彼は患者の痛みを取り去ったという

 彼は最初のピラミッドである階段ピラミッドを作った事で知られる建築家だが、政治家でもあり、神官でもあり医師でもあった

 彼は死後、エジプト最高の医神となり後にギリシャのアスクレピオスとイムホテップが結びついてアスクレピオス=イムホテウスとなった


●麻酔の夜明け前

現代の様な麻酔のなかった頃、手術には常に痛みという暗闇がつきまとい、患者を苦しめました



 「痛みを忘れるために碁に熱中する武将関羽の腕を医師華陀が手術するの図」

 日本の錦絵

 「無麻酔の下腿切断」

 麻酔の無かった時代、外科医は数人の頑強な助手に患者を押さえさせ、自分の耳に栓をして、できるだけ素早く仕事をするしかなかった


 「マンドレイクの根」

 15世紀、ギリシア、ローマ、アラビアなどの医者が麻酔薬として時々用いていたとされている

 マンドレイクの根を地面から引き抜くものは(その植物が発する悲鳴によって)殺されると信じられており、犬に引き抜かせるべきだとされていた

 日本名:朝鮮朝顔又は曼陀羅華。華岡青州が通仙散(麻酔薬)の原料として用いた



 「マンドレイクはたいていの解毒剤の主成分になります。しかし、危険な面もあります。誰かその理由が言える人は?」

 ハーマイオニーの手が勢い良く上がった拍子に、危うくハリーのメガネを引っかけそうになった

 「マンドレイクの泣き声はそれを聞いた者にとって命取りになります」

(J.K ローリング:ハリー・ポッターと秘密の部屋. 静山社より)


 「麻酔のために酒をのませるの図」

 中世の修道院では、手術の痛みをまぎらわせるために患者に酒を飲ませていた

 「1830年の版画」

 当初、笑気は遊びのために吸引する物であり、1840年代に入るまでは麻酔とは考えられていなかった


●麻酔科学の夜明け

古代において、手術時の痛みには「耐える事」や「まじない」に頼るしかなかったが、近代科学の発展に伴い’麻酔’という明るい陽が射しはじめた

 1804年10月13日 華岡青洲、曼荼羅華(朝鮮アサガオ)を主成分とする「通仙散」を用い、世界ではじめて全身麻酔下に乳がん摘出手術を成功させる

 切手は第100回日本外科学会総会を記念して発行されたもの
 華岡青洲先生坐像

 和歌山県紀の川市青洲の里にて撮影
「 Verlag von Wilhelm Engelmann in Leipzig 」

 ライプチヒにおける笑気ガスの実験を描いた図

「 Cohen Das Lachgas 」という90年以上前に出版された古い教科書から得た図。この本は英語・ドイツ語・フランス語で書かれたもので、戦時中は海軍に保存されていました
「 First Operation Under Ether 」

 1846年、ボストンにある’エーテルドーム’にて、近代麻酔学の嚆矢とされるエーテル麻酔の公開実験が行われた

 エーテル麻酔公開実験に関してはこちらをご覧下さい
 麻酔の公開実験を成功させた William Thomas Green Morton

 切手はアパルトヘイト政策により、南アフリカ共和国内につくられたアフリカ人自治地域のひとつ’トランスカイ’で1984年に発行されたもの
 エーテル麻酔の公開実験の4年前にエーテル麻酔を行っていたCrawford Williamson Long

 切手は1940年に米国で発行されたもの
 1847年クロロホルム麻酔を開発した James Young Simpson

 切手は1992年トランスカイで発行されたもの


●麻酔科学の発展

 Bernhard Dräger

 1889年の会社設立から、その優れた技術的能力で父Heinrichを支える。1928年1月12日没

 写真資料提供:Drager Medical
 Dr Otto Toth

 Roth-Dräger麻酔器の開発に協力し、その名を残す

 写真資料提供:Drager Medical
 Drägerの蘇生様呼吸器 Pulmotor を描いたイラスト

 写真資料提供:Drager Medical
 Dräger は炭坑労働者向けの安全装置の開発にも古くから力を入れてきた

 これは宣伝用ポスター

 写真資料提供:Drager Medical
 リューベック病院に於ける "Model D (oxygen/nitrous oxide/ether anesthetic apparatus)"麻酔器を用いた手術の様子

 1930-40年代

 写真資料提供:Drager Medical
 歯科医院において笑気麻酔器を用い治療を行っている所

 1930-40年代

 写真資料提供:Drager Medical
 1959年頃の手術室における麻酔器 SPIROMAT 5000

 写真資料提供:Drager Medical
 Virginia Apgar

 はじめ外科インタ-ンであったが後に麻酔科に移り、その後麻酔学教授になった。分娩時の新生児仮死を分類する「アプガー・スコア」を発案した。 後に公衆衛生学専門医となる

 切手は1994年に米国で発行されたもの


●麻酔科説明会ポスター

かねてからご好評いただいていた歴代の麻酔科説明会ポスターを展示いたします



 Designed by Dr Nakajima

 2002.05.24



 Designed by Dr Nakajima

 2002.09.24



 Designed by Dr Nakajima

 2002.11.18



 Designed by Dr Nakajima

 2003.06.06




参考文献

切手と絵で見る医学の歴史. 古川 明; メディカルトリビューン 1999