フランス革命後、パリでは病院医学が華開き、世界の医学をリードしました

パリ病院博物館:最終更新2012年
 シテ島からセーヌ川左岸へ、アルシェヴェシェ橋を渡ってすぐの左手に

 2004年撮影
 パリ病院博物館 Musee de l' Assistance publique があります


 以下の情報は2012年6月現在

 開館日:火曜日・水曜日・木曜日・毎月第一日曜日の10:00-18:00 (左記の場合でも、祝日と8月は休館))

 入場料:通常4ユーロ、学生等は2ユーロ

 写真は2004年撮影
 以前は不定休も多く、実に訪れにくかったそうですが、今はホームページに加え、Facebook やら Twitter やらにも対応しているようです。 

 2012年撮影
 建物は昔の物を利用しているため一見古くさそうですが、向かって右側のエントランスホールはとても近代的ギャップにびっくりします

 2004年撮影
 一階の特別展示はフランスの医学の歴史が現代風にまとめられていました

 2004年撮影
 少ないながらも、麻酔道具の展示もあります

 2012年撮影
  この博物館で特に素晴らしいのは、「健康の女神」や「シャリテ病院にて(左写真)」などの大作絵画です。まさに「医のルーブル美術館」と言っても過言ではないでしょう

 他の医の博物館に比べ、開館時間の長さ、場所の便利さもあり、比較的訪れやすいので、是非お勧めいたします

 2012年撮影

パスツール研究所 Pasteur institute:最終更新2004年
 パスツール研究所

 言わずと知れたフランスの細菌学者ルイ・パスツールを記念して作られた研究所で、現在も最先端の研究を行っています
 パスツール博物館はパスツール研究所の中にありますが、最先端の研究を行っているためか入場する際には写真右にある入り口に回らされ、「何かIDを示せと」言われ、IDを示した上で入館許可のIDカードを作ってもらい、ようやく入館となりました。何事にも’おおらか?’なフランスでは珍しい事でした

 入館料:大人3ユーロ、学生1.5ユーロ
 入り口にあったパスツールの白鳥フラスコ

 ここでは、入り口で「時間が来るまでちょっと待て」と散々待たされました。何か説明でもあるのかと思っていたら、何も説明は無く自由見学でした。何のために待たされたのかさっぱり解りません。ここらへんもフランスならではなのでしょうか?
 館内には大きく分けてパスツールの実験道具を展示したセクションと、彼の偉業をたたえる勲章などがかつて彼の生活した建物(移築した)に飾られているセクションにわかれます
 有名な「実験中のルイ・パスツール」の絵が飾ってありました
 最寄り駅であるメトロ Pasteur駅近く、この胸像が目印です。展示物は顕微鏡などが主なので、他の博物館のような面白みには欠けるのが残念です
パリ第5大学 UNIVERSITE RENÉ DESCARTES:最終更新2012年
 セーヌ川近く、オデオンの駅を出るとすぐ、医学校通りをはさんで立つ大きな建物が、パリ第五大学(ルネ・デカルト)です

  2004年撮影
 歴史的に重要な場所である事を示す看板も立っていました

 2004年撮影
 上の写真を向かって左の中庭にはパルテノン神殿風の立派な入り口があり、その下にビシャの像があります

 2004年撮影
 右手にメスを持ち、解剖した遺体を背に立つビシャのブロンズ像(ダビッド・ダンジェ作)

 ビシャは一年に600体もの遺体を解剖し、モルガーニの「器官」とウイルヒョウの「細胞」との間を結ぶ「組織」を確認し、臨床医学と病理解剖学を結びつける偉業をなしとげました

 「死体をいくつか開きなさい。そうすれば、たんなる観察ではどうしようもなかった暗闇が、たちまちに雲散霧消するでしょう」と言ったそうです

 2004年撮影
 中庭左手の入り口を入ったホールには、フランスの医の巨人達の胸像が並んでいました

 2004年撮影
 ブロッカ

 2004年撮影
 コルビサール

 2004年撮影
 ラボアジエ

 2004年撮影
 ネラトン

 2004年撮影
 ピネル

 2004年撮影
 そのほかにも、昔の手術の様子を模した彫刻がありました

 2004年撮影
 この棟の2階には図書館の入り口があり、3階には医学博物館があります

 2004年撮影
 エントランスホール奥の階段を上ると、昔の救急病院の様子を描いた大作絵画が展示してあり、 L'AMBULANCE DE LA COMEDIE FRANÇAISE SIÉGE DE PARIS と書いてありました

 2004年撮影
 図書館入り口

 向かって左奥は一階二階ぶちぬきの大きな図書館になっているそうです

 貴重な初版本等を守るため、図書館への出入り及び本の管理が非常に厳重に行われています。本を閲覧する時にも今読んでいる本をきちんと返してからでないと次の本が閲覧できないそうです

 この図書館は現在医学図書館としては世界最大級のものです

 2004年撮影
 二階奥、医学博物館に続くホールには臨床医学講義の様子を描いた、これまた大きな絵画「シャルコーの火曜講義」という絵が展示されていました

 この絵で講義を行っている人は、シャルコー・マリー病で有名なあのシャルコー(Jean Martin CHARCOT)で、女性を支えているのはバビンスキー(Joseph BABINSKI)、マリー(Pierre MARIE)の姿も見えます

 2004年撮影
 医学博物館に続く階段には、フランスが生んだ聴診法の父、ラエンネックの大きな肖像画が飾られていました

 2004年撮影
 パリ第五大学の3階(フランス的には2階)には目指す医学史博物館があります

 ホームページもありますし、パリの観光案内サイト等にも詳しく載っています

 開館日(2012年6月現在):夏季(7月16日-8月31日)は月曜ー金曜の14-17時半。それ以外(9月1日ー7月15日)木曜日・日曜日・祝日を除く日の14-17時半です(その他特別休業もあるようですので、開館日についてはホームページ等でお調べ下さい)

 入場料金一般:3.5ユーロ、学生など:2.5ユーロ

 ヨーロッパ諸国では博物館や美術館の学生割引が充実しています。日本やドイツなどでは、学生割引といっても25歳以上の学生には割引が効かない事が多いのですが、フランスではうれしい事に博物館長の様な’おやじ学生’にもことごとく割引が効きます

 2004年撮影
 フランスでは面白いことに、一度’ダメ’と言われても、他の担当者にあたると’かまわないよ’と平気でいわれる事が良くあります。 以前、医学博物館を訪れた際に写真をとりたい旨お願いしたところ、「個人的に用いるのなら良い」との返事でしたが、今回は「全くかまいませんよ」との返事でした。

 博物館の扉にはアスクレピオスの杖が彫ってあり、人の目の届きにくいようなところまで非常に凝っているなあと感心しました

 2004年撮影
 館内はこのように大きな講堂のような部屋となっており、壁面のケースに昔の道具が陳列されています

 2004年撮影
 このような麻酔の道具も陳列されていますが、全ての医学分野の古い道具が展示されています

 写真の道具は、DUBOISが1900年頃用いた、クロロホルムと空気を混ぜ合わせる道具

 2004年撮影
 図書館棟と、医学校通りを隔てた所にある講義棟です

 ここで、当講座の中島先生がフランス留学時代に臨床講義を受けました。1ヶ月に2日みっちりと講義を受け、なおかつテストまであり地獄の日々?を過ごされたそうです

 2004年撮影
 また、ここには HOTEL DIEU の外科主任でパリ大学医学部外科學教授であったデュピュイトランが、手術や剖検で得た標本を保存・展示しているデュピュイトラン博物館があります

 この博物館の展示物は病理組織が中心です。一般開放されてはいますが、タイのシリラート医学博物館と同じく、医療の発達していない時代の非常に進行し、強度に変形した病変や、奇形の標本が展示されていますので、医師の私でも辟易してしまうほどです。気の小さい方はお気を付け下さい。

 2012年撮影
 2004年当時は、残念ながら予約制で入れませんでしたが、現在は一般開放されており、予約は必要ありません。赤丸で囲ってある場所の呼び鈴を押し、係員を呼んで入場します。館内は撮影禁止です

 開館時間:月曜から金曜の14:00-17:00

 料金:通常5ユーロ、学生等3ユーロ

 ホームページもあります

 歴史的には、ブローカ失語で有名な1861年のブローカの報告例、ルボルニュの脳が保存されています。解りづらいので、係員の方に尋ねると良いかもしれません

 2012年撮影
 博物館の外は美しい中庭になっています

 館内の強烈な展示に疲れたら、花など見て、しばしくつろがれる事をお勧めいたします

 2012年撮影
医学校通り:最終更新2012年
 メトロのオデオン駅を出ると、目の前に見えるのが Rue de l'Ecole-de-Medecine 医学校通りです

 駅前には大きなスターバックスのお店ができていました。ここ以外にもパリのあちこちで見かけました

 2012年撮影
 医学校通りの名のとおり、医学書籍店などが軒を連ねています

 2012年撮影
 パリ第五大学の前を通リ過ぎると、広かった医学校通りは急に狭くなります(字が書いてある建物の左)

 2004年撮影
 先ほどの建物の横を歩くとすぐに特徴的な二つの建物が見えてきます

 2004年撮影
 手前の青い店は「オズーの店」

 医学生達が解剖の勉強のために使う、紙製の安価な解剖人形で知られる

 解剖学者だったオズー(Louis T.J. Auzoux, 1797ー1880)が作った解剖人形(キュンストレーキ:kunstlijk、人工的)は、日本にも伝わり、金沢大学や九州大学に現存します

 石田純郎先生著「ヨーロッパ医学史散歩」が著された時点では営業していたようですが、残念ながら閉店し、内部は廃墟となっていました(2004年現在)

 2004年撮影
 2012年現在、「オズーの店」はクレープ屋さんになってしまいました

 2012年撮影
 奥の建物は「聖コスマスと聖ダミアン(外科医の守護神)の円形講堂」

 外科学校の解剖講堂として使われていましたが、現在はパリ第三大学(文学・東洋語)の一部となっています

 2004年撮影
 講堂内部

 2012年撮影
 円形講堂の前には歴史案内板がたっていました

 その昔、職人としての身分にあった外科医達は自分達の学校を持たず、それぞれの師の下で徒弟として修行をしていましたが、火器を用いた戦争が主流となるに従い、従軍外科医が必要とされるようになりました。外科医の身分向上と合わせて外科学校が建てられるようになったのです

 2004年撮影 
パリ第12大学 ビセートル病院:最終更新2004年
 パリ郊外にあるビセートル病院を訪れました

 もともと中世には精神病院であったため、今も精神科や脳神経分野に強い大学です
 古い建物を大事にするお国柄とは言え、狭い受付
 きちんと手入れされた瀟洒な中庭
 中世を思わせる古い建物を今も利用しています
 しかし、中庭の一角にはヘリポートがあり救急ヘリが停まっており、最前線の病院という素顔を垣間見せます
 今回ビセートルを訪れたのは、フランスでポリクリをしたいという浜松医大の6年生の女学生さんを病院に紹介するという目的がありました

 彼女は4月から5月にかけて1ヶ月間ビセートル大学でスタージュ(実地研修)を行います。頑張って下さいね
HOTEL-DIEU オテル・デュー:最終更新2012年
 オテル・デュー(日本語で神の家)を尋ねました

 オテル・デューは幕末に高松凌雲が留学している事で知られています

 2004年撮影
 オテル・デューはシテ島のノートルダム寺院横にあります

 2004年撮影
 赤丸の部分です

 すぐ右隣にノートルダム寺院が見えます

 2004年撮影
 HOTEL-DIEU は西暦650年、メロビング王朝のクロービス2世の御世にパリをペストが襲った時、大司教ランドリーが現在のノートルダム寺院前広場にあった小さな教会に隣接する建物に患者を収容したことにはじまります

 オテル・デューはすべての者に開かれた病院であったため、一つのベッドに何人もの患者が寝ている様な事も日常茶飯事で、患者の死亡率が非常に高くオテル・デューに入ることがすなわち死を意味していた時代もありました

 しかし、時代の流れと共にそういった状況はナポレオン時代には解消され、医学史にその名を残す医の巨人たち(アンブロワーズ・パレ、ビシャ、コルビサール etc)が活躍しました
 長方形をしており、横から見ると長い建物です

 二列の長い四階建ての主棟に、それぞれ外に向かって五列の翼棟が伸びるシンメトリックな構造をしています

 この建物はナポレオン三世の時代に古い病院が解体され、10年の歳月をかけて作られました

 2004年撮影
 ノートルダム寺院前広場横の入り口

 一見病院では無い様に見えます

 2004年撮影
 しかし、外見は古くても現役の病院として機能しており、ANESTHEIE-REANIMATION(麻酔・蘇生学)の部署も、もちろんあるようです

 2012年撮影
 入り口を入るとホールがあり、そこを抜けると四方を建物に取り囲まれた美しい中庭があります

 学生さんらしき一団が楽しそうに談笑していました

 2004年撮影
 中庭はずっと奥まで続いていました

 2004年撮影
 一番奥まで行くとそこにはデュピュイトランの銅像があるはずでしたが、何か雰囲気が違います

 2012年撮影
 そこにあったデュピュイトランはエルム街の悪夢に出てくるフレディーに変身してました

 「何度注意してもアンテルヌ(研修医)がいたずらしちゃうんだよね」と当局者談。まるで折田先生像みたいな事になってました

 2012年撮影
 一番奥の扉をくぐるとそこは講義室になってました。

 埃まみれで、長らく使われてなかった様に見えましたが、使えるようにする工事中の様でした

 2012年撮影
 中庭の一角には戦場で亡くなった医療関係者及び医学生のメモリアルがありました

 こういったメモリアルはフランスの病院には必ずあるものらしく、パリ第五大学のエントランスホールにもありました

 2004年撮影
 廊下の薄暗いところに3段のショーケースが飾ってあり、中央の段に写真と何やら道具が展示してありました

 残念ながらメモを取るのを忘れていたため、何なのか今となってはさっぱりわかりませんが、とにかく調べてみようと思います

 2004年撮影
 下の段には昔薬を入れていたポットが飾ってありました

 2004年撮影
 一番上の段には、デュピュイトラン拘縮で有名なデュピュイトラン(この病院では外科部長として働いた)の筆による患者記録がかざってありました

 2012年6月の再訪時、この戸棚を見つけることはできませんでした

 2004年撮影
 2012年6月現在、中庭を望む回廊に、オテル・デューの昔の様子を記した絵画が、大判のパネルにされ、30枚あまり展示されています

 2012年撮影
 ロビーなどには、この病院を舞台に活躍した人々の紹介パネルが数多く飾られています。

 病院入り口には、「ここは病院ですが、ロビーや中庭などは公共の場所で見学可能です。しかし、患者さんの静かな療養環境は守るようにして下さい」と書いてありますので、ノートルダム寺院見学の際には忘れずに見学されることをお勧めいたします

 2012年撮影
ネッケル病院 Necker Hospital:最終更新2012年
 ラエンネックが子供の遊びにヒントを得て聴診器を開発し、はじめて用いた Necker 病院

 2004年撮影
 ルイ16世の財務長官として有名であったネッケル(1732-1804)の夫人シュザンヌ・ネッケルの努力によって1778年に開かれました

 その後10年間にわたるネッケル夫人の近代的な病院管理によってその基礎が築かれた事により、この病院は彼女の名前をとどめています
 現在も小児病院として中核的な働きをしているらしく、とても大きな病院で、救急車も頻繁に到着していました

 2004年撮影
サン・ルイ病院:最終更新2004年
 現存する建物としてはパリで最も古いサン・ルイ病院をたずねました
 病院はパリの北東、映画アメリにも出てきたサンマルタン運河の近くにあります

 この病院はもともとペスト病院として立てられました。昔は西風が病毒を運ぶと考えられていたため、この地に病院が建てられたのです
 パリの歴史ある病院は皆そうですが、病院の同じ敷地内に古い建物(写真中央白い部分)と新しい近代的な病院(写真中央緑の部分)が共存しています
 こちらは緑色の部分(実際に病院として機能している部分)
 こちらは白い色の部分(17世紀の建物)
 この病院は19世紀には皮膚科学のメッカとなりました

 皮膚科学史に足跡を残した多くの人がこの病院に学び、世界中の教科書に載っている太田母斑の太田正雄先生も、若き日にここに学んでいます
 皮膚科学のメッカとなったこの病院では、蝋でできた皮膚科病変見本(ムラージュ)が数多く作られ、病院の西南に「Le Musée des moulages(ムラージュ博物館)」として保存されています。

 開館日:月〜金、9:00-16:45
 入場料金:大人3.05ユーロ、学生1.25ユーロ
 電話による予約制:詳しくは以下を参照して下さい
 入り口を入るとすぐに、階段があるのですが、階段の下に頑固なおじいさんが座っています。

 「上に博物館があるはずだ、そこに行きたいと」英語で話しかけたら、おじいさんは全く英語は話さず、いくら英語で「我々は日本から来た医師だ見学させてくれと頼んでも」とにかく「non」の一点張りだったため、途方にくれてしまいました。

 すると、上の写真にちょっとだけ写っている女性が見かねておじいさんにフランス語で説明してくれ、ある電話番号を聞き出してくれました。電話番号を見せられても、我々は電話を持っていませんし、フランス語も満足に話せないので困っていると、親切にもその女性が電話までかけてくれました

 電話をかけた先は博物館の2階だったらしく、すぐ許可が取れたので行っていいよと言われました
 女性にお礼を言った後、二階へ上ると、左手の事務室に通され、何とも半端な金額の入場料を払い、奥の部屋に入りました

 そこには大きなホールがあり、壁面には無数のムラージュが陳列してありました

 ムラージュは直接患者さんの病変から石膏で型をとり、彩色された物ですので、当然ながらその質感は本物さながらです。また、現代ほど医学が発展していない時代に作られたものですので、よくもまあここまでと言うほど進行した病変がたくさんあり、普段病変を見慣れているはずの我々でもちょっと気持ち悪くなってしまいました

 一般の人にはちょっときついから予約制になったのかなあ?などと思ってしまいました(あくまで推測です)
ラ・サルペトリエール病院:最終更新2004年
 植物園の向かいにある現役の大病院

 昔火薬庫であった土地に建てられました

 最寄り駅:メトロ Saint-Marcel
 パリ市内から一掃された乞食や狂人、娼婦を収容した陰惨な歴史を持っていますが、1795年にこの病院の常勤医となったピネルは、当時鎖につながれ人間としての扱いを受けてこなかった精神病患者を鎖から解き放ちました。以降この病院は人間開放の地として記憶される事となります
 正面の建物のドームの下には大きな教会のドームがあり、ヨーロッパにおける医学と神学の密接なつながりを想起させます
コシャン病院:最終更新2012年
 コシャン病院入り口

 2004年撮影
  コシャン病院入り口

 2012年撮影
 病院の名は、病院を建てた僧コシャンに由来します
 大きな病院です
  案内板
 2004年当時、門を入ってすぐのところに、歴史を思わせる記念碑が建っていました
 岩田誠先生著「パリ医学散歩」岩波書店によれば、ここには腸チフスの血清反応で有名なヴィダールの胸像が置かれているはずでしたが、残念ながら2004年には、台座だけになっていました
 2012年6月現在、入り口を入ってすぐの中庭にあった、ヴィダールの胸像の台座は撤去されており、カフェになってしまっていました

 語学力の無さもあり、胸像や台座の行き先は解りませんでした
 梅毒の治療で有名なリコールが活躍し、後にコシャン病院に取り込まれてしまったミディ病院の門は現存していました
ブローカ病院:最終更新2004年
 失語症で有名なポール・ブローカの名を冠した病院だと思われますが、詳細は不明です
ラリボワジエ病院:最終更新2005年
パリ北駅の北隣にあります
 立派な門をくぐると
 中庭を中心に左右対称で、奥にチャペルを持つ、シテ島のオテル・デューのような構造をしています
 看板を見ると良く解ります

 緑の部分が中庭で、中庭を囲む二列の長い主棟に、それぞれ外に向かって翼棟が伸びるシンメトリックな構造をしています
 病院の一番良い所に有る、チャペルの外観
 チャペル内部
 病院への寄付の芳名帳ですが、えらく年代が古いですね
 先輩が、この病院に有る第七大学医学部の建物で研究を行っているため、尋ねてみました
 中はこんな感じでした
 研究室
 門の前にはカフェ「アンブロワーズ・パレ」がありました
フェルナン・ヴィダール病院:最終更新2005年
 パリ東駅すぐ近くにあります。といっても北駅もすぐ隣なのですが
 歴史立看板がありました
 入り口

 ちょっと入りづらいです
 通りから見た外観も、残念ながらあまり面白くはありません
ルーブル美術館:最終更新2004年
 ハムラビ法典

 古代の法典にも医師に対する記述がなされています
 古代の手術は確実にできる手術しかしませんでした

 ハムラビ法典には、手術の報酬や、とるべき責任についてハムラビ法典に書かれています

 もし、医者が青銅のメスを用いて傷を治療し、患者が治った場合、また、もし、医者が青銅のメスを用いて白内障を治療し、眼が治った場合、医者は十シケルの銀を受け取る(125条)

 もし、医者が青銅のメスを用いて傷を治療し、患者を死に至らしめた場合、また、もし、医者が青銅のメスを用いて白内障を治療し、その眼が見えなくなってしまった場合、医者は両手を切り落とされる(218条)



参考文献

岩田誠著. 「パリ医学散歩」. 岩波書店
石田純郎著. 「ヨーロッパ医学史散歩」. 考古堂
クロード・ダレーヌ著、小林武夫・川村よし子共訳「外科学の歴史」. 白水社
立川昭二著. 「ヨーロッパ歴史紀行 死の風景」. 講談社学術文庫