長きにわたる鎖国の時代、世界に向かって唯一開かれた街”長崎”

 日本中の俊才達が、蘭学や西洋医学を学びに集まったその地を訪ねました

鳴滝塾跡とシーボルト記念館
 どこまで乗っても”おとな100円”の長崎電気軌道に乗り、新中川町の駅で下車します
 シーボルト記念館の看板にそって、緩やかな上り坂(シーボルト通り)を上っていきます
 鳴滝はシーボルトの時代、滝の音だけがする川沿いの静謐な地であったそうですが、現在は住宅が密集しています
 しかし、シーボルト通りのには往時をしのばせる様子が,ところどころに残り、気持ちの良い散歩道となっています
 鳴滝塾跡地

 建物は現存しませんが、石柱により、居宅跡・書斎跡などの位置関係がわかるようになっています
 シーボルト像
 鳴滝塾跡地の奥にシーボルト記念館があります

 シーボルト記念館

http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/siebold/index.html

 シーボルトの足跡を、貴重な資料と解り易くまとめられた映像で学ぶことができます
長崎歴史文化博物館
 長崎奉行所を復元した長崎市歴史文化博物館が近年オープンしました

 中は長崎奉行所ゾーンと、歴史文化展示ゾーンに分かれています

 歴史文化展示ゾーンでは工夫を凝らした展示により、長崎が歴史上果たしてきた役割を学ぶことができます

 長崎歴史文化博物館:

http://www.nmhc.jp/index.html
出島
 出島電停を降りるとすぐ目の前に出島があります

 文字通り”島”であった出島ですが、市街の拡幅により埋め立てられてしまいました。しかし、重要な歴史的遺構である出島を名実ともに”島”として復活させる長期プロジェクトが持ち上がっているようです
 オランダ商館員達が半ば閉じ込められるように暮らした出島の”狭さ”を体感する事ができます

 大した娯楽もない時代に、こんな島で次の船来るまで数年暮らすのは、つらかっただろうなと思いました
 出島では、往時を復元する工事が進められており、カピタンの部屋などを見る事ができます。あと数年で更に充実する様です
 鬚皿(ひげざら)

 へこんだ部分に首をあて、ひげをそった時に流れ落ちる物を受け止めた皿

 長崎から世界に向けた交易が解り易く展示されていました
 出島の植物園跡地

 シーボルトがオランダに送った植物のうち、ライデン大学に現在も生育しているものが出島に里帰りし、シーボルト里帰り植物として植えられています
 シーボルトが商館医の先輩であるケンペルとツュンベリーの偉業を顕彰するために建てた碑
 その後ろにはこんな碑も
長崎大学医学部
 長崎大学医学部にあるシーボルトの記念碑
 ポンぺによる西洋医学伝習所に源を発する長崎大学医学部は、今年創立150年を迎えました

 様々な記念行事が催される中、生涯学習国際センター「良順会館」が新築され、その中に西洋医学資料展示室が設けられました
 西洋医学資料展示室は一般にも公開されるようです
 こちらはポンぺ会館
 長崎といえば忘れてはならないのが、原子爆弾による惨禍です

 爆心地近くにあった長崎大学医学部は壊滅的な被害を受け、学長をはじめ職員・学生892名、患者約200名もの尊い命がこの地で失われました
 原爆遺構「ゲストハウス」

 爆心地から550mしか離れていない基礎医学キャンパスでは、コンクリート造りのこの建物以外、皆全壊し500名もの学生が命を落としました
 爆風で傾いた医学部正門

 長崎大学医学部キャンパスでは、長崎が日本の医学に与えた輝かしい歴史も目にする事ができますが、原爆の悲惨さ・平和の尊さを訴える原爆遺構も是非ご覧いただきたいと思います